キューバ危機の直接的なきっかけ
キューバ危機(キューバ・ミサイル危機)が始まった直接的なきっかけは、アメリカ合衆国が、自国本土からわずか約150キロ(90マイル)しか離れていないキューバ国内に、ソビエト連邦が秘密裏に核ミサイル基地を建設していることを突き止めたことにあります。
1962年10月、アメリカ空軍のU-2偵察機がキューバ上空を飛行中、建設途中のミサイル発射施設を撮影しました。この写真解析により、ソ連が中距離弾道ミサイル(IRBM)や関連する支援設備をキューバに配備しつつあることが判明したのです。
なぜアメリカにとって重大な脅威だったのか
キューバはフロリダ半島のすぐ南に位置しており、そこに核ミサイルが配備されれば、アメリカ本土の主要都市が数分の警告時間で核攻撃を受ける可能性がありました。それまでの冷戦構造では、核の脅威は主に大陸間弾道ミサイル(ICBM)や戦略爆撃機によるものでしたが、キューバへのミサイル配備はこの均衡を根本的に覆すものでした。
背景にあった米ソ関係の悪化
この危機には深い背景もありました。1961年のピッグス湾事件(キューバ侵攻作戦の失敗)により、アメリカとキューバのカストロ政権との関係は決定的に悪化していました。ソ連のフルシチョフ首相は、同盟国キューバを守るとともに、西ベルリン問題などを巡る米ソ間の駆け引きで有利な立場を得るため、ミサイル配備を決断したと考えられています。
13日間に及ぶ緊張状態へ
ケネディ大統領は1962年10月22日、テレビ演説でミサイル基地の存在を公表し、キューバへの「海上隔離(検疫)」を実施することを宣言しました。以降の約13日間、世界は核戦争勃発の瀬戸際に立たされることになります。米ソ両国の艦船がカリブ海で対峙し、ソ連の貨物船が検疫線を越えるかどうかが世界中の注目を集めました。
最終的に、ソ連がミサイル撤去に同意し、その見返りとしてアメリカがキューバ侵攻しないことを約束、さらにトルコ配備のジュピターミサイル撤去を非公式に約束する形で危機は収束しました。この危機を教訓に、米ソ間にはホットライン(直通電話)が設置され、その後の核軍縮交渉へとつながっていきました。