第一次世界大戦(1914年〜1918年)において、兵士たちは戦争期間を通じて一貫して故郷への手紙を送ることが許されていました。ただし、その自由には大きな制約が伴い、軍事機密の漏洩を防ぐための厳しい検閲制度が設けられていたのです。
野戦郵便制度による手紙のやり取り
各国の軍隊は「野戦郵便局(Field Post Office)」と呼ばれる郵便システムを整備し、前線の兵士と本国の家族との間で大量の手紙や小包をやり取りできるようにしました。イギリス軍の場合、最盛期には週に数十万通もの手紙が前線と後方の間を行き来したとされ、兵士たちにとって家族からの便りは精神的な支えとして非常に重要なものでした。
厳格な軍事検閲の存在
しかし、送られる手紙のすべてがそのまま届けられたわけではありません。敵に作戦情報が渡ることを防ぐため、手紙は将校や専門の検閲官によって読まれ、以下のような内容は削除または黒塗りにされる規則でした。
- 部隊の所在地や移動に関する記述
- 兵力、装備、補給状況などの軍事情報
- 作戦計画や攻撃の予兆を示唆する内容
これらの規則に違反した場合、手紙は差し止められるか、該当部分が削除された上で配達されました。兵士たちは「ここでの様子は書けない」といった表現で、間接的に前線の過酷さを伝える工夫をしていました。
あらかじめ印刷された「野戦郵便カード」
検閲の手間を省くため、イギリス軍などでは「フィールド・サービス・ポストカード(Field Service Post Card)」と呼ばれる定型のハガキも広く利用されました。このハガキには「私は元気です」「入院しました」などの文面があらかじめ印刷されており、兵士は当てはまらない項目に線を引くだけで済む仕組みでした。内容を選べない代わりに、検閲を受けずに素早く安否を伝えられる便利な手段として親しまれました。
まとめ
つまり、第一次世界大戦の兵士たちが故郷へ手紙を送ることを許されたのは開戦当初からであり、特定の時点から解禁されたものではありません。ただし、その通信は常に検閲と制限の下に置かれており、「自由に書いてよい手紙」ではなく「許された範囲で書ける手紙」だったという点が、当時の戦時通信の実態といえるでしょう。