ジョージア植民地でラム酒の販売と飲酒が完全に合法となったのは、1749年のことです。実は、この植民地が誕生した当初、ラム酒は厳しく禁じられていました。創設者ジェームズ・オグルソープ(James Oglethorpe)は、1733年に最初の入植者を率いてジョージアに到着すると同時に、強い酒類、とりわけラム酒の持ち込みと販売を禁じる法令を発布したのです。
なぜオグルソープはラム酒を禁止したのか
オグルソープは、ラム酒が入植者の健康や規律を損ない、勤労の意欲を低下させると考えていました。また、先住民族との交易でラム酒が乱用されることによる紛争への懸念もありました。彼にとってジョージアは、貧しい人々や債務者に新たな生活の場を与える「模範的な植民地」であるべきであり、アルコールの乱用はその理想に真っ向から反するものだったのです。
禁止令の緩和から全面解禁へ
しかし、入植者たちの間で不満は次第に高まっていきました。1730年代後半には、規制の撤廃を求める「マルコンテンツ(Malcontents)」と呼ばれる反対派が活動を始めます。こうした圧力を受け、1742年にはビールやワインなど、ラム酒以外の酒類の販売がまず認められました。そして1749年、植民地運営を担っていた受託者評議会(Trustees)は、ラム酒に対する禁令を全面的に撤廃したのです。
合法化後のラム酒
禁令解除以降、ラム酒はジョージア植民地で自由に売買され、日常的に飲まれるようになりました。当時の北米植民地において、ラム酒はカリブ海地域との交易の中核をなす重要な商品でもあり、その解禁は植民地経済にとっても大きな転換点となりました。
まとめ
つまり、ラム酒がジョージア植民地で合法化されたのは1749年です。1733年のオグルソープによる禁止令からおよそ16年間、ラム酒は禁じられていたことになります。この経緯は、理想主義的な植民地政策が、現実の経済的要請や入植者たちの声に押されて変化していった、初期アメリカ史における興味深い一例といえるでしょう。