ホイッグ党とはどのような政党だったのか
ホイッグ党は、1830年代から1850年代にかけてアメリカ合衆国の二大政党の一つとして存在した政党です。同党は概して近代化、工業化、そして強力な連邦政府を支持する立場を取っていました。北部の実業家、南部のプランテーション経営者、西部の農民など、多様な勢力からなる連合体として成立していた点が大きな特徴です。
1852年大統領選大統領選挙――スコットの敗北
1852年の大統領選挙では、ホイッグ党の候補ウィンフィールド・スコットが、民主党候補フランクリン・ピアースに敗れました。この敗北の一因は、奴隷制問題をめぐる党内の深刻な分裂にありました。北部のホイッグ党員は次第に奴隷制への反対を強める一方、南部のホイッグ党員は奴隷制をおおむね支持していました。この亀裂により、ホイッグ党は選挙で勝利することがますます難しくなっていったのです。
南北両地域での支持低下
1852年の選挙において、ホイッグ党は北部と南部の双方で支持を失いました。北部では、奴隷制により明確に反対する共和党の台頭がホイッグ党を圧迫しました。一方、南部では、奴隷制をより明確に擁護する民主党の伸長がホイッグ党に打撃を与えました。こうした支持の喪失の結果、ホイッグ党は崩壊し、その後は共和党がこれに取って代わることとなりました。
南部への影響と南北戦争への道
ホイッグ党の崩壊は、南部に重大な影響を及ぼしました。ホイッグ党は、北部と南部の双方で支持を獲得できた数少ない全国政党の一つでした。その崩壊は、両地域の対立を橋渡しできる主要政党がもはや存在しなくなることを意味しました。これは、最終的に南北戦争へとつながる地域主義(セクショナリズム)の高まりを助長することになったのです。