南アメリカの歴史

17世紀マサチューセッツ湾植民地の清教徒は信教の自由を実践していたのか?

結論:いいえ、実践していませんでした

17世紀のマサチューセッツ湾植民地において、清教徒(ピューリタン)は、あらゆる信仰を持つ人々に対して信教の自由を実践していませんでした。むしろ、この植民地は清教徒の神権政治として設立され、その宗教的規範に従うことが住民に厳しく求められていました。

清教徒による神権政治の実態

1630年に設立されたマサチューセッツ湾植民地では、公職に就くことも投票することも認められていたのは、清教徒の信仰を守る者だけでした。教会への出席は事実上義務であり、税収は会衆派教会の運営に充てられました。初代総督ジョン・ウィンスロップが語った「丘の上の街」という理想は、多様な信仰への寛容ではなく、純粋な信仰共同体の構築を目指すものでした。

異なる信仰への迫害と追放

クエーカーやバプテストなど、他の宗教グループに属する人々は迫害を受け、しばしば植民地から追放されました。代表的な例としては以下が挙げられます。

  • ロジャー・ウィリアムズ:宗教的寛容と政教分離を主張したため1635年に追放され、後にロードアイランド植民地を設立しました。
  • アン・ハッチンソン:独自の宗教的見解を説いたことで1638年に追放されました。
  • メアリー・ダイアー:クエーカーとして布教活動を続け、1660年にボストンで絞首刑に処されました。

まとめ

マサチューセッツ湾植民地における「自由」は、あくまで清教徒自身のためのものであり、すべての人々のためのものではありませんでした。興味深いことに、現代につながる信教の自由の概念は、むしろ追放された異論者たち――特にロジャー・ウィリアムズが築いたロードアイランド――によって先駆的に実践されたものだったのです。