南アメリカの歴史

南部諸州はどのようにしてアフリカ系アメリカ人の投票を妨げたのか?

南北戦争後のレコンストラクション(再建)時代が終わると、アメリカ南部の州は「ジム・クロウ法」と呼ばれる一連の法律や慣行を通じて、アフリカ系アメリカ人から事実上の選挙権を奪っていきました。ここでは、当時用いられた主な6つの抑止手段を詳しく解説します。

1. 有権者への脅迫と暴力

最も広く使われたのが、暴力やその威嚇による妨害でした。クー・クラックス・クラン(KKK)などの白人至上主義団体は、リンチ、暴行、銃撃、放火といった手段を用いて、投票所へ向かおうとする黒人有権者を恐怖に陥れました。命の危険すらある状況では、多くの人が投票を断念せざるを得ませんでした。

2. 人頭税(ポール・タックス)

投票するためには所定の税金を支払うことが義務付けられました。この負担は貧しい層にとって高額であり、経済的に苦しい立場に置かれることの多かったアフリカ系アメリカ人にとって大きな障壁となりました。さらに、支払いを滞納した年があるだけで投票資格を失う仕組みも存在しました。

3. 識字テスト

投票前に読み書きの試験に合格することが求められました。試験は担当者の裁量で難易度が自由に操作でき、白人には簡単な問題を出す一方、黒人には憲法条文の暗唱など極めて困難な課題を課すこともありました。どれほど教育水準が高くても、不合格にさせることが可能な仕組みだったのです。

4. 白人限定予備選挙

予備選挙への参加を白人有権者のみに限定しました。当時の南部では民主党の指名獲得が実質的な当選を意味していたため、予備選から排除されることは、政治プロセスそのものから締め出されることを意味しました。この慣行は1944年の最高裁判決(スミス対オールライト事件)によって違憲とされました。

5. 祖父条項(グランドファーザー・クローズ)

特定の年(通常は1867年)以前に投票権を持っていた者、およびその子孫は、人頭税や識字テストなどの要件を免除されるという規定でした。1867年の時点で投票権を保有していたのはほぼ白人だけだったため、この条項は白人だけを保護する仕組みとして機能しました。1915年の最高裁判決によって無効化されています。

6. 重罪者選挙権剥奪法

重罪を犯した者から投票権を剥奪する法律です。当時の司法制度の下では、アフリカ系アメリカ人が逮捕・有罪判決を受ける割合が白人より格段に高かったため、この法律は黒人コミュニティに不釣り合いな打撃を与えました。この制度は現代のアメリカにおいても一部の州に残存しています。

差別的措置の終焉

公民権運動の高まりを受け、1964年の公民権法と1965年の投票権法が成立し、人頭税や識字テストなどの人種差別的な選挙制限は法的に禁止されました。しかしこれらの歴史的背景は、今日の投票権をめぐる議論にも今なお影を落としています。