1812年に始まった米英戦争(War of 1812)は、アメリカ合衆国が建国後初めて他国へ正式に宣戦布告した戦争として知られています。まず押さえておきたい重要な事実として、宣戦布告を行ったのはイギリスではなくアメリカの方です。1812年6月18日、ジェームズ・マディソン大統領が議会の承認を受けて対英宣戦布告に署名し、戦争が正式に始まりました。
宣戦布告に至った背景
当時、イギリスはナポレオン率いるフランスとの戦争(ナポレオン戦争)の真っ只中にあり、ヨーロッパ全土を巻き込む大規模な紛争が続いていました。この欧州での対立が、大西洋の向こう側にいた中立国アメリカにまで深刻な影響を及ぼすことになります。
1. アメリカ人船員の強制徴用
最大の火種となったのは、イギリス海軍による「強制徴用(インプレスメント)」です。イギリスは海上でアメリカ商船を停止・捜索し、イギリス臣民とみなした船員を強制的に自軍へ徴用しました。その中には実際にはアメリカ市民である者も多く含まれており、国家主権への重大な侵害としてアメリカ国内で強い反発を引き起こしました。
2. 中立貿易への妨害
イギリスはフランスを経済的に封じ込めるため、「枢密院令」によってフランスおよびその同盟国との貿易に関わる中立国船舶の取り締まりを強化しました。海洋国家として貿易に大きく依存していたアメリカ経済は深刻な打撃を受け、アメリカ側も報復として通商規制を発動するなど、両国関係は悪化の一途をたどりました。
3. 先住民族への支援
北西部国境では、アメリカの西進拡大に抵抗する先住民族(ネイティブ・アメリカン)が、ショーニー族の指導者テカムセらのもとで連合を形成していました。アメリカは、この先住民族連合がイギリス(カナダ植民地当局)から武器や支援を受けていると考え、西部開拓の大きな障害として強く警戒していました。
4. 領土拡張の野心
さらに、議会内で「タカ派(ウォー・ホークス)」と呼ばれた若手議員たちは、カナダやフロリダの獲得という領土拡張の好機と捉え、積極的に開戦を主張しました。
賛否が分かれた宣戦布告
とはいえ、開戦への合意が国内で完全に一致していたわけではありません。連邦議会での採決は下院79対49、上院19対13と僅差であり、とりわけニューイングランド諸州は貿易への打撃を懸念して強く反対しました。それでもマディソン大統領は1812年6月18日に宣戦布告へ署名し、ここにアメリカ史上初の対外宣戦が実現しました。
戦争の結末
戦争は約2年半にわたって続きましたが、1814年末に調印された「ガント条約」によって終結しました。講和により領土はほぼ開戦前の状態へ戻りましたが、アメリカは完全な独立国家としての地位を内外に示すことに成功しました。また、イギリスによる先住民族への支援も縮小される結果となりました。こうした経緯から、この戦争は「第二の独立戦争」とも呼ばれ、アメリカの国民的アイデンティティの形成に大きな影響を与えたのです。