ヨーロッパの歴史

ワーテルロー1815:ウーグモンの門をめぐる死闘

ワーテルロー1815:ウーグモンの門をめぐる死闘

ウーグモンの城館(シャトー)

アングロ=連合軍の総司令官は、かねてよりこの要塞化された農場を視察する機会に恵まれており、その防御能力と、フランス軍の攻撃を食い止る防壁としての重要性を完全に把握していた。一方、ナポレオンは森の向こう側に何があるのかを知らなかった可能性が高い。そのため、フランス軍がこの陣地に対して仕掛けた攻撃は、勝利に必要な十分な兵力と連携を欠いたまま行われることになった。

それでもなお、勝敗が一瞬にして決まりかねない緊迫の瞬間が訪れた。時刻は正午12時30分頃。3度目の突撃において、フランス軍はついにこの複合建築物を西側から包囲し、北門へと到達したのである。この門は、守備隊が尾根上に展開する味方部隊との連絡路として使われていたが、封鎖されていなかったため、フランス兵たちはすぐさま斧で打ち壊して侵入を果たした。

「突破屋」ルグロの突入

最初に門内へ踏み込んだのは、軽歩兵第1連隊第2大隊第1中隊の少尉ルグロ(Legros)であった。かつて工兵軍曹だった彼は、「l'enfonceur(突破屋)」の異名で知られる屈強な男だった。彼に続き、部下たちが次々となだれ込んでいく。

一部の守備兵は建物の中へ退避して射撃を続けたが、他の者たちは中庭そのものを戦場と定め、白兵戦によって攻撃側を撃退しようとした。

マクドネル中佐と門の閉鎖

ウーグモン複合施設の西側を守る部隊を指揮していたマクドネル(Macdonell)中佐は、この門を閉ざさなければ陣地全体が失われることを即座に悟った。そして、そばにいた将校・下士官・兵士たちとともに、門へと突進したのである。

激しい斬り合いの末、彼らはついに門を閉鎖することに成功した。こうして中庭には、「突破屋」ルグロを含む約30名のフランス兵が閉じ込められた。彼らは全員が殺害されたが、ただ一人の若い鼓手(ドラム吹き)だけは命を助けられたという。

ワーテルロー1815:ウーグモンの門をめぐる死闘

1万対2600の消耗戦

危機一髪のところで持ちこたえたウーグモンの城館は、その後も戦闘終了まで抵抗を貫き、アングロ=連合軍の勝利を支える重要な要因の一つとなった。その意味を理解するには、ひとつの単純な事実を見れば足りる。フランス軍は最終的に1万人を超える兵力――ジェローム・ボナパルト師団の全軍とフォワ師団の一部(いずれも第2軍団所属)――をこの一点の攻略に投入したのである。対する守備隊の兵力は、わずか2,600名にすぎなかった。