スペインという国はいつ生まれたのか
スペインが領土的・政治的な統一体として誕生したのは、いったいいつの時代なのか。この問いについては古くから数多くの議論があり、さまざまな見解が存在してきました。
ローマ帝国の属州ヒスパニアの時代にその萌芽を見出す説。西ゴート族による宗教的統一をもって起源とする説。さらに、カトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)の婚姻と統治によって近代的なスペインが始まったとする考えもあります。
同じ概念に対する複数の見解ですが、ここでは一つの小さな歴史の謎を紹介し、その解釈を読者それぞれにお任せしたいと思います。
グアダレテの戦い――西ゴート王国の崩壊
西ゴート王国は、711年のグアダレテの戦いにおいてイスラム軍に壊滅的な打撃を与えられました。国王ロデリコは討ち死にし、イベリア半島は瞬く間にムーア人の支配下へと落ちていきます。
わずか20年余りのうちに、イスラム勢力はピレネー山脈を越えて北上し、フランスのポワティエ付近まで到達しました。しかし732年、フランク王国の実力者カール・マルテルとの決戦で敗北を喫し、ヨーロッパへの拡大はここについに阻止されることになります。
トレド司教シンデレドのローマ行き
ところで、グアダレテの戦いより少し前、当時の西ゴート王国の首都トレドの司教であったシンデレド(Sindered)がローマへ向かいました。それが自発的な亡命だったのか、あるいは当初から予定されていた旅だったのかは、今となっては分かりません。
こうして彼は、祖国を失い、司教区を持たない「無籍の司教」となりました。
721年、ローマでの教会会議
721年、半島のほぼ全域がすでにイスラム勢力の手に落ちていた頃、ローマでは教皇グレゴリウス2世の主宰のもとで教会会議が開かれました。シンデレドは、司教区を失った身でありながら、この会議への出席を許されました。
そしてここに、非常に興味深い事実があります。会議の議事録に、彼はこう署名したのです。
「スペインの司教(Bishop of Spain)」
この署名は何を物語るのか
失われた自分の司教区でもなく、単なる亡命司教としての肩書きでもなく、彼は「スペイン」という枠組み全体の司教を名乗りました。政治的統一体としての国家などまだ存在しない時代のことです。
これは偶然の表記だったのか。それとも、教会という枠組みの中で「スペイン」がすでにひとつのまとまりとして認識されていた証なのか。あるいは、後のレコンキスタやスペイン国家の形成を予感させる何かなのか。
筆者としては、この署名からさまざまなことを考えさせられますが……結論は、読者の皆さんそれぞれの解釈にお任せします。