ヨーロッパの歴史

第二次世界大戦前夜のギリシャ――ヨーロッパに広がるファシズムの影

第二次世界大戦前夜のギリシャ――ヨーロッパに広がるファシズムの影

1930年代後半は、第二次世界大戦勃発へ向かう最後の局面であった。ヨーロッパを中心としたファシズムの勢力拡大は、もはや隠しきれない事実となりつつあった。

ヨーロッパ各地に広がるファシズム

イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーといった代表的存在だけでなく、より小規模な、あるいは一見穏健に見える運動も各地で成長していた。ルーマニアでは、コルネリウ・ゼレア・コドレアヌが率いる反ユダヤ主義のファシスト暴力集団「大天使ミカエル軍団」が勢力を伸ばし、ベルギーでは「レキシスム(レックス運動)」が台頭した。さらにオーストリアのナチスは、1934年にエンゲルベルト・ドルフース首相を暗殺するという暴挙にまで及んだのである。

イタリアにおけるファシズムの確立

中でもイタリアのファシズム運動は、極めて強固な基盤を築いていた。ファシスト党の政治組織は、1920年7月にはわずか108だったが、1921年11月に「国家ファシスト党」として正式に組織される頃には2,200にまで増加し、活動メンバーは35万人に達した。

平和を否定するイデオロギー

ファシズム思想は、その誕生当初から平和を明確に拒否していた。早くも1919年、ムッソリーニは自らの綱領文書の中で次のように宣言している。

「ファシズムは……平和主義を斥ける。それは闘争の放棄であり、犠牲を前にした臆病の隠れ蓑にすぎない。……戦争のみが、人間のあらゆるエネルギーを最高度の緊張へと高め、それに立ち向かう勇気を持つ民族に気高き刻印を押すのである。」

暴力と権力掌握への道

言葉だけにとどまらず、行動の面でもファシズムの暴力性は露呈していた。1920年から22年にかけての政治的騒乱では約2,500人が命を落とし、新聞社や政治団体の事務所数十か所が破壊された。1920年にはファシスト集団が多民族都市トリエステになだれ込み、スロベニア系住民を脅迫するとともに、海外植民地の獲得を要求した。こうした動きと並行して大規模な武装組織が形成され、ついに1922年10月、いわゆる「ローマ進軍」によってムッソリーニは政権の座についたのである。

こうして西欧で猛威を振るい始めたファシズムの波は、やがてバルカン半島にも及ぶことになる。ギリシャもまた、1936年に成立したメタクサス政権という形で、この時代の激流に巻き込まれていくのである。