ヨーロッパの歴史

スパルトロスの戦い:騎兵と投擲の「火」が勝敗を決した――アテネ軍の痛恨の敗北

スパルトロスの戦い:騎兵と投擲の「火」が勝敗を決した――アテネ軍の痛恨の敗北

スパルトロスとはどんな都市か

スパルトロスは、ボッティア人(ヴォッティア人)の首都であった都市です。ハルキディキ半島の西部、オリントスの近くに位置していました。同市は当初アテナイ同盟の一員でしたが、ペロポネソス戦争の勃発(紀元前431年)を機に反旗を翻し、同盟を脱退します。

アテネ軍の進撃と交渉の決裂

紀元前429年、悲劇詩人エウリピデスの息子である将軍クセノフォン(有名な歴史家・将軍として知られるクセノフォンとは別人)率いる約4,000名のアテネ軍が、この都市への遠征を開始しました。アテネ軍は市外に到着すると、まず周辺の穀物を破壊し、続いて市内の親アテナイ派との交渉に乗り出します。

しかし、市内では反アテナイ派が主導権を握り、住民はアテネ軍の期待に反して降伏せず、オリントスへ援軍を要請しました。こうしてスパルトロスおよびハルキディキ各地から強力な部隊が集結し、アテネ軍に立ち向かうこととなったのです。

序盤は重装歩兵の戦いでアテネ軍が優勢

両軍は、オリントス軍が到着する前に市外で激突しました。経験豊富なアテネ軍の重装歩兵は攻勢に出て、中央と右翼を担うハルキディキ側の重装歩兵に大きな損害を与えながら押し戻しました。連合軍の左翼を固めていたのは熟練のペロポネソス人部隊でしたが、味方が退却するのを見ると、包囲されるのを避けて後退しています。

敗れた軍勢は市内へ逃げ込み、アテネ軍は勝利を確信して慢心しました。しかし、相手も同じ考えではありません。やがてオリントスの援軍が到着し、連合軍は歩兵5,000、騎兵400という戦力を整えます。

転換点:「火」と化して降り注ぐ投槍

連合軍はここで新戦術を披露しました。ペルタスト(軽装歩兵)と軽装部隊を前面に展開し、投槍の雨でアテネ軍を圧倒したのです。

弾幕を浴びせられたアテネ軍は次第に後退を余儀なくされます。さらに連合軍の騎兵が介入し、安全な距離から投槍で攻撃を加えました。アテネの歩兵が反撃に転じると、騎手たちは馬の速力を生かして即座に離脱します。

この猫と鼠のような駆け引きが長く続き、アテネ軍は苛立ちと疲労に苛まれていきました。やがてファランクス(密集隊形)後列の兵士たちが隊列を離れ始め、まもなく陣形には隙間が生じます。連合軍の騎兵と軽装歩兵はその隙を突いて多数のアテネ兵を討ち取り、将軍クセノフォン自身も戦死しました。

損害と戦いの教訓

この戦いでアテネ軍は430名以上が戦死し、連合軍の損害は315名にとどまりました。連合軍の死者の大半は、序盤の重装歩兵同士の戦闘によるものです。

スパルトロスの戦いは、単なる武力衝突の枠を超えた戦いでした。勝敗を分けたのは「武器の響き」ではなく「火」――すなわち連合軍の軽装部隊と騎兵が放つ投射兵器であり、これこそがアテネ軍に打ち勝った決定的な武器となったのです。