ヨーロッパの歴史

ヴィツィの戦い、1949年8月10日:決戦初日の王立ギリシャ空軍(EBA)

グラモス陽動の後、ヴィツィへ――パパゴス総司令官の決断

ギリシャ内戦終盤の1949年夏。状況を慎重に見極めたギリシャ国軍総司令官アレクサンドロス・パパゴスは、グラモス山に対する陽動攻撃の後、いよいよ主攻撃を発起すべき時が来たと判断した。標的は、ギリシャ民主軍(DSE)防衛線の要となるヴィツィ山地である。その地面を整える役割を再び担ったのが、当時の王立ギリシャ空軍(EBA)だった。

完全な戦闘態勢に入った飛行隊

シヌーリス少佐率いる第335飛行隊、アタナソプーロス少佐率いる第336飛行隊、ルコプーロス少佐率いる第337飛行隊、さらにパプーツィス大尉指揮下のダコタ「爆撃」飛行隊が、完全な戦闘態勢で待機していた。このダコタ機は輸送機を独自の工夫によって即席爆撃機へと改造したものである。8月9日の午後、コザニ飛行場で会議が開かれた。

そこでの決定はこうだ。各飛行隊は最低4ソーティを実施すること。これは主として第IIIコマンドー師団への支援のためである。作戦の狙いは、限られた空域に可能な限り多くの航空機を、可能な限り長時間にわたって投入することにあった。そうすることで、物質面のみならず精神的にも、敵に圧倒的な衝撃を与えられるはずだった。

先陣を切った改造ダコタ機

翌8月10日、夜明け前から改造ダコタ機が最初に飛び立ち、数分後にスピットファイアの第一陣が続いた。目標は、空中写真によって特定されていたDSEの主要電話中枢が置かれたプレスパ湖畔のカリエスである。まもなく、そこには何ひとつ立っているものがなくなった。ダコタ機もまた名誉ある任務を遂げたが、ただ1機だけ例外があった。

その即席爆撃機は、DSE第102旅団司令部への精密爆撃を目指していた。ところが進入段階で対空砲火の雨を浴び、20mm弾が右翼に深刻な損傷を与えたのだ。燃料タンクは破れ、油圧システムは機能を失った。操縦士ツィツォグルー、同ジャンナトス、爆撃手長ピラスマキスの3人にとって、状況は危機的だった。

機体は今にも火を吹きかねない状態だった。それでも操縦士は、まだ飛行できると悟ると、任務の続行を決意する!目標に向き直り、やむなく一直線に飛びながら敵の砲火をほぼ無視し、投下した爆弾は見事な精度で目標に命中した。

基地へ戻る単独のダコタ機を、兵士たちは畏敬の眼差しで見守った。車輪はもはや役に立たず、だらりと垂れ下がっていた。それでも乗員は、見事な冷静さをもって胴体着陸を成功させ、ラリサの地に降り立ったのである。

スピットファイア、ポレナタと1685高地を叩く

こうした出来事と並行して、爆弾とロケット弾を満載した32機のスピットファイアがすでに空に上がり、堅固に要塞化されたポレナタ高地および1685高地に対するギリシャ陸軍の攻撃支援の準備を整えていた。うち20機はカツィムーリス少尉の指揮でポレナタ高地を、残りはルコプーロス隊長の指揮で1685高地を攻撃する。

ポレナタへの攻撃は凄まじい威力だった。DSEの機関銃座、火砲、指揮所が粉々に打ち砕かれ、空中へ揺さぶられる。巨大な煙の雲が山頂を覆った。同じ頃、地上からは第22歩兵旅団が突撃を開始した。

航空機は休まない。第一次出撃を終えると、コザニに帰還して燃料と武装を補給し、次の出撃に備えた。そして再びポレナタが目標となった。今度は2波に分かれたスピットファイアが16機ずつ、半数がロケット弾、残り半数が焼夷弾を搭載して均等に編成された。「ロケット部隊」の指揮はシヌーリス隊長、「焼夷弾部隊」の指揮はあのイリアス・カルタラマキスが執った。

1時間の猶予要求と「歯でも使って待て」の命令

その間に地上部隊は、第一次航空攻撃の成果を利用して、DSE陣地の射程圏内まで迫っていた。しかし、そこで機関銃の火線に行く手を阻まれた。前日に策定された射撃計画では、空軍は9時30分ちょうどに第二次攻撃を行う予定だった。ところが足止めされた第22歩兵旅団は、態勢を立て直して航空攻撃の戦果を活用できるよう、爆撃を1時間延期してほしいと要請した。

問題は、スピットファイアの航続力ではそれだけ長く空中に留まれないことだった。仮に留まったとしても、帰還できなくなってしまう。機内で苦悩する各隊長が指示を仰ぐと、返ってきた命令はこうだった。「空中に留まり続けろ、歯でも使ってでもだ」。多くの搭乗員にとって死を意味しかねない命令を、彼らは辛うじて受け入れた。

幸い、第22旅団は所要時間の半分で準備を整え、25分の遅延だけでスピットファイアに攻撃命令が下った。

カルタラマキスが語る急降下爆撃

この瞬間を、パイロットのイリアス・カルタラマキスは次のように描写している。「降下前に、編隊へ最後の指示を出す。『ブラック編隊、ブラック・ワンより。攻撃位置につけ。爆弾スイッチを入れる』。返答を待たず、照準器越しに狙いを定め、攻撃戦術に従って照準十字を目標の左端に固定する」

「速度計の針は大きな数字へと回っていく。高度計は高速での急降下を示している。たちまち対空砲が我々を迎撃しようとする。横から撃たれるが、先に通り抜けたロケット弾部隊が組織的な対空防御を掃討してくれていた。500メートルまで来たら機関砲で塹壕めがけて掃射し、目標上空15メートルまで達して焼夷弾を投下する」

「目標に視線を固定したまま、時速450キロで地面が迫ってくるのが見える……爆弾を投下した後もポレナタIIまで機銃掃射を続け、そこからロト=ビコヴィクの退避航路を取って、再びヴィツィ上空で旋回する。この間、目標をもう一度眺める余裕があり、他のスピットファイアの戦果を見ることができた。私は満足と誇りを感じた。私の編隊の全機が、約束どおり15メートル以下の精度で爆弾を投下し、あらゆる危険と対空危険と対空砲火をものともしなかったのだから……」

「一度目の通過で、まだ燃え盛るポレナタの低空を飛ぶと、南東側で我が歩兵が登攀し、塹壕を抜けて目標地域に入っていくのが見えた。あの時感じた感情は言葉にできない。胸いっぱいに広がる高揚感のまま、歩兵たちの頭上を通過しながら、目標の山頂に向けて機関銃と機関砲を浴びせた……ポレナタI上空をさらに2、3回周回すると、信号弾が落ちた。旅団の目的が達成されたことを知らせる合図である」

初日の戦果――164ソーティと囮の落下傘兵

ヴィツィの戦い初日となる1949年8月10日、EBAは合計164の戦闘出撃を敢行し、あらゆる面で陸軍に多大な貢献を果たした。また、あまり知られていない航空戦の一側面として、DSEの注意をそらすため、ダコタ機からプレスパ地域一帯へ落下傘兵の姿をした囮(ダミー)を投下したことも特筆される。