ヨーロッパの歴史

歴史を知る者は幸いなり――トルコとドデカネス諸島、1947年パリ条約が示す法的真実

歴史を知る者は幸いなり――トルコとドデカネス諸島、1947年パリ条約が示す法的真実

歴史と政治は不可分である

古代ギリシャの悲劇詩人エウリピデスは、「歴史を知る者は幸いなり(オルビオス)」という有名な言葉を残した。しかし、歴史が政治において重要な役割を果たすのは古代だけではない。それは常にそうなのである。優れた政治家であるためには歴史を知らねばならない。ほとんどの問題には歴史的経緯があり、完全に解決されるものはごくわずかで、大多数は同じ、あるいはほぼ同じ条件のもとで繰り返されるからだ。

執筆:ニック・クツォ(Nick Koutso)/出典:APOPSEIS

問題の「歴史性」を検証する

ある紛争の歴史的経緯は、その解決に向けた努力の中で検証され、考慮されるべきものだと筆者は考える。今回の件でまず確認すべきは、トルコが1947年のパリ平和条約(対伊講和条約)の当事国であったかどうかである。

答えは明快だ。トルコは同条約の当事国ではない。そこで次の問いが生じる。国際条約の非締結国は、国際法に基づいていかなる権利を主張できるのか。ウィーン条約法条約第34条は、第三国に対していかなる権利も与えないと定めている。したがってトルコには当該協定を破棄または修正する権利がなく、トルコによる異議申し立ては法的に無効なのである。

歴史的事実:トルコはドデカネス諸島を一度も保有していない

トルコ国家の誕生以来、トルコがドデカネス諸島やその岩礁を一瞬たりとも支配したことはない。これらの島々は第二次世界大戦後、英国の管理を経て、1947年のパリ条約に基づきギリシャが正式に受け取ったものである。

現在の状況

ギリシャは、国際的に認められた自衛権を行使して島嶼部を防備してきたが、1947年パリ条約の署名国のどこからも抗議を受けていない。一方のトルコは、1974年にキプロスへ侵攻し、さらに「エーゲ海軍」まで創設した。

つまり、ギリシャとトルコの対立は、1982年の国連海洋法条約(UNCLOS)の実施を試みた結果でもなければ、キプロスのトルコ系側が合理的な解決策を受け入れないことで宙に浮いたままのキプロス問題ゆえのものでもない。

トルコの真の狙い

トルコの目標は、地域大国として認められ、イスラム世界を牽引することにある。自国の意見と利益なしに東地中海で何も動いてはならず、トルコ系キプロス人はその支配下に置き続ける、というのがその論理だ。

皮肉なことに、トルコは他国を「植民地主義的思考」と非難しながら、自らはかつてオスマン帝国が保持していた権利を要求している。オスマン帝国の継承国家であることを必ずしも認めようとしない一方で、植民地帝国のごとく振る舞っているのである。とりわけ、ポントス・ギリシャ人、アルメニア人、アッシリア人などに対して行われた民族浄化に関する事柄において、その姿勢は顕著だ。

「緊張緩和」と交渉の基礎

だからこそ、アテネが「締張緩和(デエスカレーション)」という言葉で何を意味するのか――それがキプロスの排他的経済水域(EEZ)からの調査船「ヤヴズ」「バルバロス」の撤退を含むのかどうか――、さらには将来の交渉の基礎を何に置くのかは、極めて重要なのである。

今日のトルコは、自国の利益と力という唯一の基準であらゆる既成事実の見直しを図っており、そのために言説(レトリック)と艦隊・陸軍の双方を駆使していることは明白である。

注記

PS1: 本稿の主要な論点は、元ギリシャ外相ニコス・コツィアス氏がウェブサイト「TheForum - Agora Dialogue」で発表した文章に負うところが大きい。

PS2: ギリシャ・トルコ間、およびキプロス・トルコ間のあらゆる紛争は、交渉を通じて平和的に解決されなければならない。だからこそ、ギリシャとトルコの間で合意される議題、および今後の協議の基礎がこれほど重視されるのである。

PS3: 1982年の海洋法会議(UNCOS交渉)では、コロンビアが「距離基準」の導入を提唱した。すなわち、本国から遠く離れ第三国に接近する小島や岩礁には権利を認めない、というものである。しかし、この要求は交渉過程で却下された。したがって、カステッロリゾ(メイス)島を巡る苦情、ひいては「距離」を根拠とするトルコの主張は、違法なのである。