
1975年8月4日――歴史に残るフライト
1975年8月4日午前11時30分、コードナンバー「101」を与えられたギリシャ空軍のミラージュF1CGが、南西フランスのモン・ド・マルサン空軍基地を離陸しました。約50分の飛行の後、南東フランスのオランジュ基地に着陸して約2時間の中継を行い、同日17時10分、当時副隊長だったアレクサンドロス・ママイスは、タナグラにある第114戦闘航空団の滑走路に第一号機を着陸させたのです。
これは、その後28年間にわたってエーゲ海上空の防空を担うことになる40機のミラージュF1のうち、最初の1機でした(同機種は2003年になってようやく退役しています)。数時間後には、ハリラオス・ガナス隊長の操縦する2号機(コードナンバー「102」)がこれに続きました。
偶然ではないタイミング
ママイスの歴史的なフライトから46年後の2021年7月、今度はフランス製の新型戦闘機ラファールが、同じタナグラ基地に着陸します。ママイス氏にとって、この時期の重なりは決して偶然ではありません。ミラージュF1CGがギリシャに到着したのは1975年、すなわち前年のキプロスに対するトルコ軍侵攻から1年後のことでした。そして2021年、ラファールがやってきたのも、東地中海におけるトルコの挑発行為や地域の安定を揺るがす動きが顕在化してから1年後だったのです。
第342全天候飛行隊「スパルティ」とともに
タナグラに到着した翌日から1977年7月までの2年間、アレクサンドロス・ママイスは、部隊名「スパルティ(スパルタ)」、紋章はスパルタ王レオニダス、標語は古代スパルタの言葉「モロン・ラベ(来たれ、そして奪ってみせよ)」で知られる第342全天候飛行隊(MPK)の筆頭パイロットを務めました。
1975年10月には、当時のエヴァンゲロス・アヴェロフ国防大臣臨席のもと、第342飛行隊最初の機体の正式編入式典が挙行されました。全機の引き渡しが完了したのは1978年のことですが、ママイス氏の記憶によれば、早くも1976年5月には同飛行隊は完全な作戦態勢に入っており、パイロットも地上技術員も、いつ実戦が訪れても対応できる準備を整えていたといいます。
エーゲ海の空を守った28年間
引き渡された機体はただちに即応任務(アラート待機)に就き、計画されていたすべての演習に参加しました。ミラージュF1CGはタナグラの第114戦闘航空団を本拠地としながらも、その活動範囲はエーゲ海全域に及びました。リムノス島の第130戦闘飛行隊、スキュロス島の第135戦闘飛行隊、クレタ島ヘラクリオンの第126航空群、そしてサントリーニ島の第134戦闘飛行隊――要撃任務を終えて最後に着陸するのは、常にミラージュのパイロットたちだったのです。
ミラージュF1CGとは
ミラージュF1CGは、フランスのダッソー社が開発した超音速要撃戦闘機ミラージュF1のギリシャ向け輸出型です。最高速度はマッハ2.2を超え、優れた低空性能と全天候要撃能力を備え、導入当時のギリシャ空軍の防空力を大きく押し上げました。ギリシャは合計40機を受領し、2003年の退役まで約四半世紀にわたりエーゲ海の空を守り続けました。
文:ヴァシリス・ネドウ 出典:DAILY(英語記事より翻訳・再構成)