ヨーロッパの歴史

1922年、トルコは虐殺されたギリシャ人の遺体を肥料として売却していた

1922年、トルコは虐殺されたギリシャ人の遺体を肥料として売却していた

歴史家が発掘した1924年の新聞報道

2013年、歴史家ヴラシス・アグジディス(Vlassis Agzidis)が、1924年に発行された3つの新聞記事を発掘した。それらの記事によれば、ムスタファ・ケマル・アタテュルク政権は、イギリス船籍の船舶で約400トンの人骨(推定5万体分)をフランス・マルセイユ港へ出荷していたという。報道を行ったのは、ニューヨーク・タイムズ、フランス紙「ミディ」、そしてギリシャ紙「マケドニア」である。記事では、この人骨がトルコのマルマラ海に面したムダニヤ港から積み出されたことが記されている。

出典:en.protothema.gr

人骨の産業利用という歴史的背景

アグジディスは、これらの死者の遺骸は産業用途向けだった可能性があると主張している。実は、人骨を堆肥に変えるという行為は19世紀初頭には決して珍しいものではなかった。実際、ワーテルローの戦い(1815年)の後にも同様のことが行われている。2014年8月3日付の『インデペンデント』紙で、ロバート・フィスクは次のように書いている。

「ワーテルローの戦いの後、戦死者の骨はハルへと運ばれ、イングランドの緑豊かな大地の肥料として使われた。一方、歯は生者のための義歯として利用された。」

また、ジョー・ターナーが2015年3月に行ったアーカイブ報道に基づく調査でも、19世紀には確かに国際的な骨の取引が存在したことを裏付ける信頼性の高い証拠が明らかになっている。

親トルコ派だったフランス

アグジディスによれば、当時のフランスは親トルコ派の立場を取っていたため、フランス人が死亡したギリシャ人やアルメニア人の骨を産業利用のために購入することは、道徳的な問題とはみなされなかったという。

ニューヨーク・タイムズの報道(1924年12月23日付)

「マルセイユは奇妙な話題で沸き立っている。イギリス船籍で船名を『ジャン』とする一隻が、謎めいた貨物――メーカーへ送られる予定の400トンの人骨――を積んでこの港に入港したのである。この骨はマルマラ海のムダニヤで積み込まれ、小アジアにおける虐殺の犠牲者の遺骸であるとされている。流布している噂を受けて、調査が実施される見込みだ。」

フランス紙「ミディ」の報道――「悲しき貨物」

問題の貨物について、フランス紙「ミディ」は「悲しき貨物」と題する記事を掲載し、次のように報じた。

「現在マルセイユでは、貨物船ザンがまもなく到着し、マルセイユの諸産業向けに400トンの人骨を運び込むことについて、大きな議論が交わされている。これらの人骨は、トルコ国内のアルメニア人絶滅収容所、とりわけ小アジアから運ばれたものである。」