ヨーロッパの歴史

ロシア革命でボリシェヴィキの指導者ではなかった人物は?ケレンスキーの正体

ロシア革命のボリシェヴィキ指導者ではなかった人物とは?

ロシア革命期にボリシェヴィキの指導者の一人ではなかった人物は、アレクサンドル・ケレンスキー(Alexander Kerensky)です。

ケレンスキーは社会革命党(エスエル党)に所属する政治家であり、1917年7月から11月にかけてロシア臨時政府の首相を務めました。つまり彼は、ボリシェヴィキの指導者どころか、むしろボリシェヴィキと対立し、最終的にその政権転覆の標的となった人物だったのです。

ボリシェヴィキの真の指導者たち

ボリシェヴィキを率いたのは、党の創設者であるウラジーミル・レーニンをはじめ、レフ・トロツキーやヨシフ・スターリンらです。彼らは1917年11月7日(ユリウス暦10月25日)の十月革命において武装蜂起を決行し、ペトログラードの冬宮を占拠して臨時政府を打倒、世界初の社会主義政権を樹立しました。

ケレンスキーとボリシェヴィキの対立

ケレンスキー率いる臨時政府は第一次世界大戦の継続を選択しましたが、戦争による疲弊と経済の混乱から国民の支持を急速に失っていきました。一方、レーニンは「平和・土地・パン」をスローガンに掲げ、兵士や農民の圧倒的な支持を集めていました。

十月革命の際、ケレンスキーは首都からの脱出に成功したものの、反撃には失敗し、その後亡命を余儀なくされました。こうしてロシア革命の主役となったのは、ケレンスキーではなくレーニン率いるボリシェヴィキだったのです。