ヨーロッパの歴史

「鉄のカーテン」を築いたのは誰のせい?チャーチルが非難した人物とは

鉄のカーテンの責任者としてチャーチルが指名した人物

イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、ソ連圏と西側諸国との間に「鉄のカーテン」が引かれた原因について、当時のソ連指導者ヨシフ・スターリンこそがその責任者であると明確に非難しました。

スターリンは1941年から1953年に死去するまで、ソビエト連邦の首相として国家の最高指導者の座にありました。チャーチルの見解によれば、東欧諸国を共産主義陣営の下に閉じ込め、西側の自由世界から隔離するという分断の壁をもたらしたのは、ほかならぬスターリンの政策と拡張主義だったのです。

世界を震撼させた「鉄のカーテン」演説

「鉄のカーテン」という言葉が世界中に広まったきっかけとなったのは、1946年3月5日にアメリカ・ミズーリ州フルトンで行われたチャーチルの有名な演説です。彼はこの中で、「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステに至るまで、大陸を横断して鉄のカーテンが降ろされた」と述べ、ソ連による東欧支配の強まりを厳しく警告しました。

この発言は冷戦時代の幕開けを象徴する言葉となり、以後、東西ヨーロッパの分断を表す歴史的用語として広く定着することになりました。