結論から言えば、1962年のキューバミサイル危機の時点で、キューバ国内に駐在していたドイツ人は一人もいませんでした。キューバに極秘裏に配備されたソ連製弾道ミサイル(R-12など)の運用は、すべてソ連軍要員によって行われていました。
とはいえ、ドイツがロケット技術の歴史において果たした役割は非常に大きく、キューバ危機の背景を理解するうえで欠かせません。
ドイツ人科学者とロケット開発の歴史
第一次世界大戦期:ロケット燃料の研究
ドイツ人科学者たちは、第一次世界大戦中からロケット推進剤(ロケット燃料)の研究開発において先駆的な業績を残していました。この分野での蓄積が、後のドイツのロケット技術の基盤となりました。
第二次世界大戦期:V2ミサイルの開発
さらに、第二次世界大戦中およびその直前には、史上初の実用弾道ミサイルであるV2ロケットの開発において中心的な役割を担いました。ヴェルナー・フォン・ブラウンらの研究チームによるこの技術は、戦後の宇宙開発と現代のミサイル技術の礎となりました。
戦後、米ソ両国による科学者争奪戦
1945年にナチス・ドイツが崩壊すると、その高度なロケット技術と人材をめぐって、米国とソ連が激しい争奪戦を繰り広げました。
- 米国側:「ペーパークリップ作戦」により、フォン・ブラウンをはじめとする約1,600人のドイツ人科学者・技術者を招聘しました。
- ソ連側:占領下のドイツからV2関係者や関連設備を本国へ移送し、これを基盤にR-7やR-12などのミサイル開発へとつなげました。
キューバ危機との意外なつながり
興味深いことに、キューバに配備されたソ連のミサイルは、こうして獲得されたドイツのロケット技術をベースに発展させたものです。つまり、危機の現場にドイツ人はいなかったものの、その背後にあるミサイル技術そのものは、ドイツ人科学者の遺産なしには語れないのです。