「プラトンをはじめとする多くのアテネ人がパルテノンを嫌っていた」という説を裏付ける歴史的資料は、実は存在しません。この主張は後世の憶測や誤解に基づくものであり、古代の記録とは食い違っています。むしろパルテノンは古代ギリシャ人から広く賞賛され、今日でも世界で最も有名で崇敬される建造物の一つであり続けています。
ペリクレス時代に生まれたアテネの象徴
パルテノンは紀元前447年から前432年頃にかけて、政治家ペリクラスの主導によりアクロポリスの丘に建設された、女神アテナに捧げられた神殿です。彫刻家フェイディアスが芸術監督を務め、白い大理石を用いたドーリス式建築の最高傑作として、当時のアテネの繁栄と文化水準の高さを示す象徴とみなされていました。
古代の人々からの高い評価
古代の文献を見ても、パルテノンへの否定的な言及はほとんど見られません。旅行家パウサニアスは著書の中でアテナ神殿の見事さに言及し、プルタルコスもペリクラスの建築事業について「速やかなる名声を持つ不朽の業績」と評するなど、同時代人の多くがこの神殿を称賛していました。
確かに、大規模な公共事業への出費を巡っては政敵による批判があったとされますが、それは建築そのものへの嫌悪ではなく、財政運営への政治的な異論でした。こうした議論が「アテネ人はパルテノンを嫌っていた」という誤解につながった可能性があります。
現代に至るまで称賛され続ける建築遺産
プラトン自身も、『国家』などで理想都市の姿を論じた際にパルテノンを否定した記録はありません。むしろ彼の活躍した時代、パルテノンはアテネ市民の誇りとして君臨していました。
2500年以上の時を経た今も、パルテノンの精緻な比例設計と彫刻は世界中の建築家や学者を魅了し続けており、「古代ギリシャ人に嫌われていた」という説に反して、人類共通の文化的宝物として称賛され続けているのです。