ヨーロッパの歴史

コロンブスの新大陸到達当時、ヨーロッパではどこにまだ奴隷制度が残っていたのか?

クリストファー・コロンブスが1492年に最初の航海を行った頃、ヨーロッパ本土では古典的な意味での「奴隷制度」はすでに大部分が姿を消していました。しかし、奴隷貿易そのものは盛んに行われており、その中心だったのがポルトガルとスペインです。

15世紀のポルトガルによる奴隷貿易

ポルトガル人は15世紀半ば(1440年代)以降、西アフリカ沿岸への探検を進めるなかで現地の人々を奴隷として獲得し、リスボンなどの港へ運び込んでいました。15世紀末までにポルトガル国内には数千人規模のアフリカ人奴隷が存在し、農業・家事労働・手工業などに従事させられていました。

さらに、マデイラ諸島やサントメ島といった大西洋上の植民地では、砂糖プランテーションの労働力として奴隷が大量に投入されました。この仕組みこそが、後のアメリカ大陸におけるプランテーション経済の原型となります。

コロンブス自身と先住民の奴隷化

見落とされがちですが、コロンブス本人も奴隷化の歴史において重要な役割を果たしました。1495年にはカリブ海のタイノ人ら数百人をスペインへ送り出しており、これが新大陸発の奴隷貿易の出発点の一つとされています。その後、スペイン・ポルトガルの入植者たちは金銀採掘や農園経営のために先住民を強制的に働かせました。

アフリカ人奴隷の導入と三角貿易の始まり

疫病と過酷な労働によって先住民の人口が激減すると、入植者たちは代替労働力としてアフリカからの奴隷輸入へと舵を切りました。16世紀初頭に本格化したこの「大西洋三角貿易」は、その後数百年にわたって拡大し、数百万人規模のアフリカ人が新大陸へ強制的に連れて行かれる結果となりました。

まとめ:コロンブスの時代のヨーロッパと奴隷制度

つまり、コロンブスの到達当時に奴隷が実際に存在していたのは、主にイベリア半島(ポルトガルとスペイン)でした。一方、西欧の多くの地域では奴隷制度は中世末期までに衰退していましたが、東欧やロシアでは農奴制という形の強制労働が長く残っていました。そして何より重要なのは、コロンブスの航海が奴隷貿易をヨーロッパ域内の規模から、大西洋を越える巨大な商業システムへと飛躍的に拡大させる転換点となったという事実です。