結論から言うと、モスクワはローマ帝国の都市ではありません。ローマ帝国の支配領域は地中海世界を中心としたヨーロッパ南部、北アフリカ、中東に及んでいましたが、現在のロシア西部に位置するモスクワは、その版図には含まれていなかったのです。
モスクワの誕生は12世紀
モスクワが歴史上初めて記録に現れるのは1147年のことです。当時のキエフ大公国の公子であったユーリー・ドルゴルーキー(長腕公)が、同盟者をこの地に招いた書簡の中で「モスクワ」の地名に言及したことが、最初の文献記録とされています。
ローマ帝国滅亡との時間差
西ローマ帝国は476年に滅亡しました。つまり、モスクワの創建は西ローマ帝国の滅亡から約670年後の出来事であり、「ローマ帝国滅亡のはるか後」に成立した都市だということが分かります。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)については1453年の滅亡まで存続しましたが、その領土もバルカン半島や小アジアなどが中心であり、モスクワ一帯は含まれていませんでした。
意外なつながり「第三のローマ」
とはいえ、モスクワとローマが完全に無関係だったわけではありません。15世紀末以降、コンスタンティノープル陥落後のモスクワ大公国は、正教の守護者として自らを「第三のローマ」と称するようになりました。これはあくまで精神的・宗教的な後継意識であり、地理的・政治的な継承ではない点に注意が必要です。
まとめ
- モスクワはローマ帝国の領土内には存在しなかった
- 1147年、ユーリー・ドルゴルーキーの時代に初めて文献に登場
- 西ローマ帝国滅亡(476年)から約700年後に成立した新しい都市
- 後の時代に「第三のローマ」としての意識を持ったことはある