モロッコ危機も、フランスとドイツの植民地をめぐる対立を背景に、ヨーロッパ列強間の緊張を高めたという点で決して軽視できません。しかし、ヨーロッパの同盟体系の発展を促したという観点で見れば、1908年から09年にかけて発生したボスニア危機の方がはるかに重要な役割を果たしました。
その理由とは?
1. 列強間の緊張の激化
ボスニア危機の発端は、1908年にオーストリア=ハンガリー帝国が、オスマン帝国の属州であったボスニア・ヘルツェゴビナを併合したことにあります。この動きに対し、バルカン半島のスラヴ系同胞が脅かされていると感じたロシアが強く反発しました。一方、ドイツは同盟国であるオーストリア=ハンガリーを支持したため、ロシア帝国とドイツ帝国の間で深刻な外交的対立が生じることになりました。
2. バルカン同盟の結成
オーストリア=ハンガリーによる併合への対応として、ロシアはセルビアやブルガリアなど、バルカン諸国との連携強化に乗り出します。これらの同盟は、汎スラヴ主義(パンスラヴィズム)の思想と、同地域におけるオーストリア=ハンガリーの拡張主義を食い止めたいという思惑によって主導されたものでした。
3. 三国協商の強化
バルカン同盟の結成に加え、ロシアとフランスの緊密な協力関係も相まって、三国協商(ロシア・フランス・イギリス)の結束は大きく強化されました。協商各国は、中央同盟国(ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリア)を自国の利益に対する日益る脅威とみなし、その影響力に対抗する姿勢を明確にしていったのです。
4. 軍拡競争の激化
ボスニア危機は、ヨーロッパ列強間の軍拡競争にも拍車をかけました。ロシアの同盟構築を重大な脅威と受け止めたドイツが軍備増強を加速すると、他の列強もこれに追随せざるを得なくなりました。こうした軍拡競争の激化は、ヨーロッパ諸国間の不信感と猜疑心を一層深める結果となりました。
5. 第一次世界大戦への布石
そして最終的に、ボスニア危機は1914年の第一次世界大戦勃発への舞台を整えることとなりました。バルカン半島に燻り続けた根深い緊張と未解決の紛争、さらにこの危機を通じて形成された同盟網と軍拡競争が重なり合い、わずかな火花ひとつで全面戦争へと飛び火しかねない「ヨーロッパの火薬庫」が完成したのです。