1917年2月(当時ロシアで使用されていたユリウス暦による表記。グレゴリオ暦では3月)に起こったロシア政府の打倒は、第一次世界大戦の推移に重大な影響を及ぼしました。特に大きな変化が現れたのは東部戦線です。
東部戦線への影響
ロシア軍の弱体化
アレクサンドル・ケレンスキー率いる臨時政府は、前線の兵士たちの規律・士気・戦争継続への支持を維持することに苦慮しました。脱走や反乱が各地に広まり、東部戦線におけるロシア軍の戦力は著しく低下していきました。
ブレスト=リトフスク条約の締結
1917年11月(ユリウス暦では10月)、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが権力を掌握し、ソヴィエト政権を樹立しました。新政権が真っ先に行った重大な決定の一つが、第一次世界大戦からの離脱でした。ドイツとの和平交渉の結果、1918年3月にブレスト=リトフスク条約が調印され、ロシアは広大な領土を放棄するとともに、賠償金の支払いを余儀なくされました。
東部戦線の崩壊
ロシアの戦線離脱により、東部戦線に展開していたドイツ軍は西部戦線へ大規模に兵力を再配置できるようになり、1918年には春季攻勢を発動しました。これにより連合国側への圧力が一気に高まり、西部戦線での戦闘がさらに激化しました。
連合国への影響
ロシアからの支援の喪失
連合国は、東部戦線で重要な軍事的役割を担ってきた貴重な同盟国ロシアを失いました。ロシア軍の崩壊によって、中央同盟国に対抗する負担は西部の連合国だけが背負うことになりました。
ドイツ軍士気の高揚
東部戦線のドイツ軍は、ロシア革命の成功とその後のブレスト=リトフスク交渉での勝利に大きく鼓舞されました。士気の向上は西部戦線での作戦遂行への意欲にもつながりました。
戦争の長期化
ドイツ戦力の増強
東部から西部へのドイツ軍の再配置により、西部戦線におけるドイツの戦力は大幅に増強されました。この戦力差の変化が、結果として戦争全体の長期化を招く一因となりました。
地政学的な再編
新たな国境線の出現
ブレスト=リトフスク条約の結果、ロシアは多大な領土を失い、東欧には新たな国民国家が次々と誕生しました。これにより、地域全体の地政学的構図は根本から塗り替えられました。
世界革命思想の波及
ボリシェヴィキは自らの革命を世界革命の触媒と位置づけ、他国もこれに倣うことを期待していました。この理念は国際社会主義運動の内部にイデオロギー上の分裂をもたらし、各国における共産党の結成を促すなど、その後の世界の政治力学に深い影響を残しました。
まとめ
ロシア政府の打倒は、第一次世界大戦の帰結に決定的ともいえる影響を与えました。東西戦線間の勢力均衡を崩し、戦争を長期化させると同時に、ヨーロッパの政治的風景を根底から再形成したのです。