実は、フランスがハイチを「占領」したという事実はありません。正確に言えば、ハイチは1625年から1804年までの約180年間、フランスの植民地として支配されていました。当時のハイチは「サン=ドマング」と呼ばれ、砂糖やコーヒーの生産で世界有数の富を誇る、カリブ海で最も重要な植民地の一つでした。
フランス植民地時代のサン=ドマング
17世紀初頭、フランスは西インド諸島への進出を本格化させ、ハイチ島の西部を支配下に置きました。プランテーション経済を支えるため、アフリカから大量の奴隷が連れてこられ、過酷な労働条件のもとで砂糖・コーヒー・藍などの生産が行われました。
18世紀後半には、サン=ドマングは世界最大級の砂糖生産地へと発展し、フランスの海外貿易を支える「宝石」と呼ばれるほど繁栄していました。しかし、その豊かさの裏には、数十万人に及ぶ奴隷たちの犠牲がありました。
ハイチ革命――史上唯一、大規模な奴隷反乱による独立
1791年、トゥーサン・ルーヴェルチュールらの指導のもと、ハイチで大規模な奴隷反乱が勃発しました。この「ハイチ革命」はナポレオン率いるフランス軍の遠征をも退け、1804年1月1日、ジャン=ジャック・デサリーヌスによってハイチは正式に独立を宣言します。
ハイチは、大規模な奴隷反乱によって独立を勝ち取った世界で唯一の国として知られています。また、アメリカ大陸で黒人主体の共和国が成立した最初の例でもあり、世界史において極めて特異な意義を持つ出来事です。
独立後も続いたフランスとの関係
独立後も、フランスとの関係はすぐには終わりませんでした。1825年、フランス国王シャルル10世は軍事的圧力を背景に、ハイチに対して1億5000万フランという巨額の「賠償金」の支払いを要求しました。ハイチは独立承認と引き換えにこれを受け入れ、以後長年にわたって多額の債務を抱え込むことになります。
この負債はハイチの経済発展を長く妨げ、「二重の債務」とも呼ばれています。つまりフランスは、ハイチを武力で占領し続けたわけではありませんでしたが、植民地支配と独立後の経済的搾取を通じて、長きにわたり深い影響力を及ぼし続けたのです。