ヨーロッパの歴史

五分の三妥協の下では、各州の人口はどのように決定されたのか?

五分の三妥協(スリー・フィフス・コンプロマイズ)とは

五分の三妥協は、1787年のアメリカ合衆国制憲会議において合意された歴史的な妥協案です。この妥協により、下院の議席配分および課税の目的で各州の人口を算定する際、奴隷人口の5分の3が数えられることになりました。当時、北部諸州は奴隷をまったく人口に含めないことを主張していた一方、南部諸州は奴隷を1人として全員カウントすることを求めており、両者は深刻な対立状態にありました。五分の三妥協は、この対立を打開するために生まれた折衷案だったのです。

五分の三妥協における人口の決定方法

五分の三妥協の下では、各州の人口は「自由民の総数+奴隷人口の5分の3」として計算されました。たとえば、ある州に自由民が100人、奴隷とされた人が50人いた場合、その州の実質的な人口は100人+(50人×0.6)=130人として扱われます。この算出結果は、下院議員の配分や連邦政府への税負担の算定に用いられました。

五分の三妥協がもたらした影響

五分の三妥協は、南部諸州の政治力に大きな影響を与えました。奴隷人口の5分の3が数えられたことで、南部諸州は下院および選挙人団における議席数を増やし、連邦政府内での発言力を強化することができました。さらに、この妥協は奴隷制という制度を事実上保護する側面も持っていました。奴隷の数が多いほど議席が増える仕組みは、奴隷州にとって奴隷制を維持する経済的な動機となり、制度の温存につながったのです。

奴隷制の廃止と五分の三妥協の終焉

五分の三妥協は最終的に、1865年に批准されたアメリカ合衆国憲法修正第13条によって無効化されました。修正第13条は「合衆国内、または合衆国の管轄下にあるいかなる場所においても、奴隷制ならびに強制的な労役は、正当に有罪とされた犯罪に対する刑罰として存在する場合を除き、これを存続させてはならない」と規定し、奴隷制そのものを廃止しました。これにより、建国以来続いてきた不平等な人口算定の慣行にも、ついに終止符が打たれることとなりました。