ヨーロッパの歴史

なぜイングランドは新大陸への植民地建設に出遅れたのか?その理由と転機を徹底解説

15〜16世紀のイングランドが、新大陸(アメリカ大陸)への植民地建設においてスペインやポルトガルに大きく遅れをとったのには、いくつかの複合的な要因がありました。

出遅れた主な要因

1. 海洋大国ではなかった

15世紀から16世紀のイングランドは、まだ海洋国家としての地位を確立していませんでした。海軍は規模が小さく弱体で、長距離航海の経験も乏しかったため、大西洋を渡る危険な遠征に踏み切る体制が整っていなかったのです。

2. 欧州列強との戦争に忙殺されていた

フランスやスペインなど欧州列強との一連の戦争に巻き込まれていたイングランドは、人的・物的資源を戦争に消耗し、海外植民地経営に集中する余裕がありませんでした。

3. 宗教対立という壁

イングランドはプロテスタント国家であった一方、当時のアメリカ大陸の大部分はカトリック勢力であるスペインとポルトガルが支配していました。この宗教的な違いにより、イングランドは両国との紛争を引き起こすリスクを冒さずに植民地を築くことが難しい状況でした。

4. 海外進出の伝統の欠如

さらに、イングランドには海外探検や植民地建設の強い伝統がありませんでした。イングランド人は植民地建設よりも貿易に関心を持ち、新大陸探検の先頭を他の欧州列強に任せていても満足していたのです。

転機となった16世紀末〜17世紀初頭

しかし、16世紀末から17世紀初頭にかけて、いくつかの重要な変化がイングランドを植民地政策へと方向づけました。

宗教改革による追い風

プロテスタント改革の進展により、イングランド国内におけるカトリック教会の影響力が低下しました。これによって、イングランド人プロテスタントは迫害を恐れることなく、アメリカ大陸に自らの植民地を築けるようになりました。

1588年のスペイン無敵艦隊撃破

1588年にスペイン無敵艦隊を撃退したことは、イングランド海軍にとって大きな自信と躍進の契機となりました。この勝利により、イングランドはスペインやポルトガルに対抗して、アメリカ大陸の覇権を竆う立場に立ったのです。

貿易と商業の発展

イングランド国内での貿易と商業の急速な成長は、新しい市場や資源への需要を生み出しました。イングランドはアメリカ大陸をそれらの有望な供給源として見るようになり、植民地への投資意欲が高まっていきました。

植民地建設の時代へ

こうした要因が重なり合った結果、イングランドは16世紀末から17世紀初頭にかけて、アメリカ大陸へ次々と植民地を建設していきました。

代表的な植民地としては、以下が挙げられます。

  • ジェームズタウン(1607年) — イングランド最初の恒久的入植地
  • プリマス(1620年) — メイフラワー号で渡ったピルグリム・ファーザーズが建設
  • マサチューセッツ湾植民地(1630年) — ピューリタン移民の中核拠点

これらの初期植民地こそが、後のアメリカ合衆国建国の重要な礎となっていったのです。