ヨーロッパの歴史

ニュルンベルク裁判で処罰されたのは誰?ナチス指導者たちの判決一覧

第二次世界大戦の終結後、連合国はナチス・ドイツの指導者たちの責任を追及するため、1945年11月から1946年10月にかけてドイツ・ニュルンベルクで国際軍事裁判を開廷しました。通称「ニュルンベルク裁判」と呼ばれるこの裁判では、戦争犯罪、人道に対する罪、平和に対する罪などが問われ、ナチス政権の中枢を担った多くの人物が厳しい判決を受けました。

裁判の概要

ニュルンベルク裁判は、アメリカ・イギリス・ソビエト連邦・フランスの4カ国が構成した国際軍事裁判所(IMT)によって行われ、計24人の主要なナチス指導者が起訴されました。うち労働戦線指導者のロベルト・ライは開廷前に自殺し、実業家グスタフ・クルップは高齢と健康上の理由で審理が打ち切られました。以下では、実際に判決を受けた代表的な人物を紹介します。

死刑判決を受けた12人

1. ヘルマン・ゲーリング(帝国元帥)
ナチス党きっての実力者で、空軍総司令官も務めた政権の中心人物。死刑判決を受けましたが、刑の執行直前となる1946年10月15日に獄中で服毒自殺しました。

2. ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(外務大臣)
ナチス・ドイツの外交を統括した外務大臣。死刑判決を受け、絞首刑に処されました。

3. ヴィルヘルム・カイテル(国防軍最高司令部総長)
ドイツ国防軍最高司令部(OKW)のトップとして軍の作戦全体を統括した人物。死刑判決を受け、執行されました。

4. エルンスト・カルテンブルンナー(国家保安本部長官)
親衛隊(SS)の治安機関である国家保安本部(RSHA)の長官。死刑判決を受け、執行されました。

5. アルフレート・ローゼンベルク(人種政策局長)
ナチス党の人種政策局の責任者であり、占領東部地域の担当大臣でもありました。死刑判決を受け、執行されました。

6. ハンス・フランク(占領ポーランド総督)
ドイツ占領下のポーランドの総督として支配を主導した人物。死刑判決を受け、執行されました。

7. ヴィルヘルム・フリック(内務大臣)
ナチス・ドイツの内務大臣として国内統治に関与しました。死刑判決を受け、執行されました。

8. ユリウス・シュトライヒャー(反ユダヤ主義紙『シュテュルマー』発行者)
激烈な反ユダヤ主義プロパガンダを展開した新聞の発行者。死刑判決を受け、執行されました。

9. フリッツ・ザウケル(労働力配給全権委員)
占領地域から数百万人規模の強制労働者を動員した責任者。死刑判決を受け、執行されました。

10. アルフレート・ヨードル(国防軍最高司令部作戦部長)
OKWの作戦参謀長として軍事作戦を立案・指揮した人物。死刑判決を受け、執行されました。

11. アルトゥール・ザイス=インクヴァルト(オランダ占領地帝国弁務官)
オーストリア併合時の外務大臣を経て、占領オランダの弁務官を務めました。死刑判決を受け、執行されました。

これら12名の死刑囚は、1946年10月16日にニュルンベルクで絞首刑に処されました。

終身刑・有期禁錮刑を受けた人物

ルドルフ・ヘス(ナチス党副総統)
ヒトラーに次ぐ地位にあったナチス党副総統。終身刑の判決を受け、西ベルリンのシュパンダウ刑務所に収監され、1987年に亡くなりました。同刑務所に残された最後の受刑者でした。

アルベルト・シュペーア(軍需・戦争生産大臣)
ヒトラーお抱えの建築家から軍需大臣へと昇りつめた人物。禁錮20年の判決を受け、1966年に釈放されました。

このほかにも、海軍総司令官エーリッヒ・レーダー(終身刑)、経済大臣ヴァルター・フンク(終身刑)、元外相コンスタンティン・フォン・ノイラート(禁錮15年)、海軍元帥カール・デーニッツ(禁錮10年)など、多数のナチス幹部や軍の指導者にそれぞれの刑期が言い渡されました。

無罪放免となった者も存在

一方で、元経済大臣ヤルマー・シャハト、元首相フランツ・フォン・パーペン、宣伝省局長ハンス・フリッチェの3名は、証拠不十分として無罪判決を受けました。ただし、彼らはその後も世間から強い批判にさらされることになりました。

まとめ

ニュルンベルク裁判では、ゲーリングやリッベントロップをはじめとするナチスの指導者たちが死刑や禁錮刑という厳しい処罰を受けました。一方で、刑期の違いや無罪放免といった多様な判決も下されています。「命令に従っただけ」という理由では免責されない個人の責任を初めて明確に示したこの裁判は、その後の国際刑事裁判や国際人道法の発展における重要な先例となりました。