ルイ16世はなぜギロチンにかけられたのか?
フランス国王ルイ16世は、革命期フランスの最高機関として設立された「国民公会」による裁判で有罪を宣告され、一市民としてギロチンによる処刑という最期を迎えました。王位のまま生涯を終えた歴代のフランス王とは異なり、彼はフランス史上唯一「処刑された国王」となっています。
君主制と共和制は両立できなかった
ルイ16世が裁判にかけられた根本的な理由は、1793年1月までに、フランスの君主制が第一共和政と共存しながら存続することは不可能であることが明白になったからです。1792年9月にはすでに王政の廃止と共和政の樹立が宣言されており、国王の存在意義そのものが問われる時代になっていました。
「反逆罪」の告発
さらに決定的だったのは、ルイ16世が在位中に反逆行為(陰謀)に関与したとされた点です。1791年のヴァレンヌ逃亡事件では、王が国外の勢力と結ぼうとして逃亡を図ったことが発覚し、国民からの信頼を大きく損ないました。加えて、革命に敵対するオーストリアやプロイセンとの通謀、外国軍の介入を期待していた疑いも重なり、彼は次第に「祖国への裏切り者」とみなされるようになりました。
国民公会での裁判と死刑判決
1792年12月に始まった裁判では、国民公会の議員たちが被告となった元国王を審理しました。そして1793年1月の採決の結果、ルイ16世は反逆罪により死刑を宣告されます。
処刑当日――1793年1月21日
判決から数日後の1793年1月21日、ルイ16世はパリの「革命広場」——かつてのルイ15世広場、現在のコンコルド広場——においてギロチンによって処刑されました。この広場は、その後王妃マリー・アントワネットをはじめ、革命期に多くの人物が処刑された場所としても知られています。