ヨーロッパの歴史

フランツ・フェルディナント大公の妻ゾフィーは妊娠していたのか?

結論:ゾフィー妃は妊娠していなかった

オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の妻、ホーエンベルク公爵夫人ゾフィーは、1914年6月28日にサラエボで夫婦そって暗殺された際、妊娠していなかったことが史実として確認されています。

当時の記録や検視結果に基づく歴史学上の見解では、ゾフィー妃が第三子を身ごもっていたという事実は存在せず、「妊娠していた」とする説は後世に広まった誤解あるいは俗説と考えられています。

なぜ「妊娠説」が語られるようになったのか

サラエボ事件では、ガブリロ・プリンツィプが発射した銃弾により、フランツ・フェルディナント大公は首、ゾフィー妃は腹部を撃たれています。この「腹部への銃創」という詳細が、後に「夫人は妊娠していたのではないか」という憶測を生む一因となったとされます。

しかし、夫妻には既に三人の子供(ゾフィー、マクシミリアン、エルンスト)がおり、ゾフィー妃が42歳だった当時の状況や周辺資料を総合すると、妊娠の事実を裏付ける確かな証拠はありません。

サラエボ事件の歴史的意義

この暗殺事件は、第一次世界大戦の引き金となった20世紀最大の転換点の一つです。夫婦の死そのものも悲劇でしたが、それが欧州全体を戦火へと導いたという点で、歴史上きわめて重要な出来事となりました。

こうした重大な事件の陰で、細部に関する様々な噂や伝説が生まれるのは珍しくありません。ゾフィー妃の「妊娠説」もまた、悲劇的な事件にまつわる数多くの逸話の一つとして位置づけられます。