オランダ帝国とは
オランダ帝国は、16世紀末から20世紀にかけてオランダが海外に築いた植民地および交易網の総称です。1602年に設立されたオランダ東インド会社(VOC)と、1621年設立のオランダ西インド会社(WIC)がその原動力となり、17世紀には世界貿易の中枢を担う「黄金時代」を迎えました。
ただし、オランダの影響の度合いは地域によって大きく異なります。長期にわたる直接統治を行った植民地もあれば、交易拠点の設置にとどまった地域、探検と命名のみが行われた地域もあります。以下、地域別に整理して紹介します。
アフリカにおけるオランダの支配地域
アフリカでは、ヨーロッパとアジアを結ぶ航路上に重要な補給拠点を数多く築きました。特に1652年に設立されたケープ植民地(現南アフリカ)は、喜望峰回りの航路における中継基地として機能しました。
- 南アフリカ(ケープ植民地)
- アンゴラ
- ナミビア
- ガーナ(黄金海岸)
- コートジボワール(象牙海岸)
- ベナン
- ナイジェリア
- カメルーン
- ガボン
- コンゴ共和国(ブラザビル)
- コンゴ民主共和国
- ケニア
- タンザニア
- モザンビーク
- マダガスカル
- モーリシャス
- レユニオン
南北アメリカにおけるオランダの支配地域
北米では、現在のニューヨーク一帯を「ニューネーデルラント」として植民化し、その中心地としてニューアムステルダム(現ニューヨーク)を建設しました。1664年にイギリスに奪われましたが、「ブルックリン」「ハーレム」などの地名にその名残が今も残っています。また、カリブ海の一部の島々は、今日もオランダ王国の領土または構成体として存続しています。
- ニューヨーク(旧称:ニューアムステルダム)
- デラウェア
- ニュージャージー
- ガイアナ
- スリナム
- オランダ領アンティル
- アルバ
- キュラソー
- ボネール
- サバ島
- シント・ユースタティウス島
- シント・マールテン島
アジアにおけるオランダの支配地域
アジアはVOCの活動の中心でした。なかでもインドネシア(オランダ領東インド)は、1949年の独立まで続いた最大かつ最重要の植民地であり、香辛料貿易の根幹を支えました。日本に対しては領土支配こそ行いませんでしたが、江戸時代を通じて長崎の出島における欧州との貿易を独占し、蘭学を通じて西洋文化伝来の窓口となりました。
- インドネシア(オランダ領東インド)
- マレーシア
- シンガポール
- ブルネイ
- フィリピン
- 台湾(フォルモサ)
- 日本(出島での貿易独占)
- スリランカ(セイロン)
- インド
- バングラデシュ
- ミャンマー
- タイ(シャム)
- ベトナム
- カンボジア
- ラオス
ヨーロッパにおけるオランダの支配地域
ヨーロッパにおいては、オランダ本国に加えて、歴史的な同君連合や戦争による一時的な占領を通じて、周辺地域へ影響力を及ぼしました。これらの地域の多くは、恒久的な統治ではなく、特定の時期における支配または勢力下に置かれたものです。
- オランダ(本国)
- ベルギー(南ネーデルラント)
- ルクセンブルク
- ドイツ(クレーフェ、マルク、ラーフェンスベルク)
- フランス(アルトワ、エノー、カンブレー)
- イタリア(ロンバルディア、ナポリ、シチリア)
- スペイン(カタルーニャ、ルシヨン)
- ポルトガル(アルガルヴェ)
- デンマーク(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン)
- スウェーデン(ボーヒュースレーン)
- ノルウェー(フィンマルク)
- ロシア(ノヴァヤゼムリヤ)
オセアニアにおけるオランダの支配地域
オセアニアでは、オランダ人探検家たちが数多くの土地を「発見」し、命名しました。オーストラリアは「新ホラント(Nieuw Holland)」、ニュージーランドは「ニーウ・ゼーラント(Nieuw Zeeland)」と呼ばれましたが、恒久的な入植は限定的で、その後の支配権はイギリスの手に渡っています。
- オーストラリア(新ホラント)
- ニュージーランド(ニーウ・ゼーラント)
- パプアニューギニア(ニューギニア)
- ソロモン諸島
- バヌアツ(ニューヘブリディーズ)
- フィジー
- トンガ
- サモア
- キリバス(ギルバート諸島)
- ツバル(エリス諸島)
まとめ
オランダ帝国の版図は、五大陸にわたる広大なものでしたが、その実態は多様です。インドネシアやスリナム、カリブ海諸島のように長期にわたる統治が続いた地域がある一方で、日本やタイのように主権を保ちながら交易関係を結んだ例、そしてオセアニアのように探検と命名にとどまった地域も存在します。現在でもアルバ、キュラソー、シント・マールテンなどがオランダ王国の構成体であることは、かつての海洋帝国の面影を今に伝えています。