ヨーロッパの歴史

第二次世界大戦後、ルーズベルトとチャーチルはなぜスターリンの東欧支配を許したのか?

「第二次世界大戦後、ルーズベルトとチャーチルがスターリンによる東ヨーロッパ支配を許した」という見方は、必ずしも正確とは言えません。確かにソ連はこの地域に大きな影響力を獲得しましたが、西側連合国も戦後秩序の形成に一定の役割を果たしていました。

ここでは、戦後の東ヨーロッパの帰結に影響を与えた主な要因を解説します。

1. テヘラン会談とヤルタ会談

1943年のテヘラン会談と1945年のヤルタ会談において、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三大同盟国の指導者たちは、戦後世界の構想について協議しました。集団安全保障の必要性については合意があったものの、東ヨーロッパにおける戦後秩序の具体的な形や勢力範囲については明確に定められませんでした。

2. ソ連軍による占領

第二次世界大戦の終結までに、ソ連はすでに東ヨーロッパの大部分を占領していました。ソ連軍の駐留という既成事実は、スターリンにとって戦後の取り決めを交渉する上で大きな有利さとなりました。

3. 西側諸国の優先事項

米英を中心とする西側連合国は、ナチス・ドイツの打倒、そしてその後の自国経済と社会の復興に注力していました。このため、東ヨーロッパへの関心が相対的に薄れ、対応が後手に回っていた面があります。

4. リアルポリティクス(現実政治)上の考慮

連合国側は、ソ連が戦争で果たした多大な貢献、特に東部戦線における甚大な犠牲を考えれば、同国がこの地域である程度の影響力を持つことはやむを得ないと認識していました。また、強大な軍事力を有するソ連との直接対決を避けたいという思惑も働いていました。

5. 意見の一致の欠如

戦後の東ヨーロッパへの対応について、連合国間で完全な合意は存在しませんでした。ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどに設置されたソ連支援政権の正当性をめぐっては、西側連合国の間でも見解が分かれていました。

まとめ

ソ連による東ヨーロッパ支配は、ルーズベルトとチャーチルの決断だけに起因するものではありません。地政学的な現実、軍事的な力関係、そして大戦中および戦後における連合国間の優先事項の違いなど、複数の要因が絡み合った結果だったのです。