ヨーロッパの歴史

ヒムラーは第二次世界大戦後、何をしていたのか?逃亡から最期までの経緯

ナチス・ドイツにおける親衛隊(SS)全国指導者として知られるハインリヒ・ヒムラーは、1945年5月のドイツ降伏後、連合軍による捕縛を避けるために逃亡生活を送りました。

偽名を使った逃亡生活

敗戦直後のヒムラーは、「ハインリヒ・ヒッツィンガー(Heinrich Hitzinger)」という偽名を名乗り、身なりを変えて一般市民に紛れ込もうとしました。親衛隊最高指導者として数多くの戦争犯罪に関与した彼にとって、捕まれば確実に裁判にかけられ、処刑されることは明らかでした。そのため、ドイツ国内を移動しながら潜伏先を探し続けたとされています。

イギリス軍による逮捕

1945年5月21日、ドイツ・ニーダーザクセン州の小さな町ブレーマーフェルデ(Bremervörde)近郊において、ヒムラーはイギリス軍の検問で足止めされ、そのまま逮捕されました。当初は偽名で通そうとしましたが、尋問の過程で正体が疑われ、やがて本人であることが確認されたといわれています。

青酸カプセルによる自殺

逮捕後、身体検査や尋問を受けていた際、ヒムラーは口の中に隠し持っていた青酸カリ(シアン化物)のカプセルを噛み砕き、自ら命を絶ちました。医師が検査を行っていた瞬間の出来事だったとされ、カプセルを噛んでからわずか数分で死亡が確認されました。捕縛されることを悟っていた彼は、常に自殺用の毒物を携行していたと考えられています。

死後の扱い

ヒムラーの遺体は、リューネブルク近郊の墓地に無印の墓として埋葬されたと伝えられています。その正確な埋葬場所は長年にわたり公表されておらず、現在でも特定されていません。こうして、ホロコーストをはじめとするナチスの大量虐殺の中心人物の一人は、法の裁きを受けることなく、その生涯を閉じることとなりました。