ヨーロッパの歴史

1945年4月12日――ブラウンシュヴァイクのゼロアワー、一人の少年が見た終戦

ウィリー・マイヤーさん(82歳)は、1944年に故郷ブラウンシュヴァイクが空襲で破壊され、翌1945年4月にアメリカ軍が侵攻してくる様子を、少年として目撃した。その記憶は今も色あせることはない。

マイヤーさんが決して忘れないのが、終戦間近の1944年10月15日の夜、市史上最悪となる爆弾の雨が降り注いだ夜だ。当時12歳だった元配管工の親方である彼は、「空襲警報は私たちにとって珍しいことではありませんでした」と振り返る。サイレンが鳴り響いたときも、母親とチェスを指していたほどだ。しかし今回は違った。レオポルト通り4番地の自宅に爆弾が落ちたのである。彼は両親や他の住人とともに地下室に身を潜めた。爆発音がようやく止んだ頃になって初めて、外に出る勇気が湧いた。わずか40分の間に、26発の焼夷弾と2発の燐弾が敷地内に着弾した。父が営む配管工房も、その中にあった。

ブラウンシュヴァイク最大の空襲

その夜、ブラウンシュヴァイクは第二次世界大戦中で最も激しい爆撃に見舞われた。イギリス軍機が投下したのは、20万発を超える爆弾。「獅子の街」と呼ばれるこの街は、焼夷弾と燐弾によって文字通りの地獄絵図と化し、火災旋風が市中心部で2日間猛威を振るった。

「壁一枚隔てた隣の壁紙が黒く焦げ始め、今にも燃え移りそうなほどの熱でした」とマイヤーさんは回想する。家族は家具をすべて運び出し、水に浸した布や砂、水を駆使して住まいを炎から守ろうとした。父のマイヤー氏は中庭の火元に立ち向かった。燐は可燃物に飛び散ると、ほぼ消火不可能になる恐ろしいものだ。しかし先代マイヤー氏は技術緊急援助隊に所属し、消火の訓練を受けていた人物だった。彼はなんとか我が家を全焼の危機から救い出した。生計の柱である配管業は、こうして家族の手に残ったのである。

「私は幸運でした。店も家も失っていたら、人生はまったく別のものになっていたでしょうから」とマイヤーさんは語る。とはいえ、家の周囲はすべて焼け野原と化していた。

木組みの街並みから瓦礫の山へ

マイヤー家の配管工房は奇跡的に爆撃を生き延びたが、街の他の部分ではほとんどすべてが炎に呑まれた。約300万立方メートルに及ぶ瓦礫が街並みを覆い、建物の90%が廃墟となった。崩れ落ちた家屋や焼け跡の間で、もはや道路の形を識別するのも困難だった。

それでも、ウィリー少年と母親は祖父母の家を目指し、数メートルの瓦礫の山を越えて歩いた。「石がまだとても熱かったんです。足を火傷しないよう、慎重に山を越えました」と彼は当時を語る。この攻撃による死者は公式発表で約600人、8万人が住む家を失った。鉄道網も道路網も、ガスや水道の供給も、すべてが麻痺状態に陥った。

親方の記憶に強く残っているのは、空襲後に一変したアパートの様子だ。「家を焼かれた人々は、田舎の農家の納屋などを転用した応急宿舎に収容されていました。ある一家が私たちの部屋にも同居することになったのです」。終戦時、マイヤー家の小さな住まいで暮らす人は、3人から6人に増えていた。

憧れのチューインガム

1945年4月12日、アメリカ軍がブラウンシュヴァイクを解放したとき、多くの市民は市内24か所の防空壕に避難していた。ウィリー少年もその一人で、壕内での最後の数日は憂鬱な日々だった。終局までドイツ軍とアメリカ軍の間で血なまぐさい戦闘が続いていたからだ。「砲弾の爆発音は本当に怖かったです」と彼は言う。ほとんどの人々は読書やラジオで時間をつぶしていた。国民受信機からは、ナチス指導部のプロパガンダが「最終勝利」や「ハルツ要塞」を喧伝し続けていた。だが現実には、アメリカ軍の戦車がすでに街路を走っていたのである。

「やがて私たちは外に出る勇気を持ちました。多くの家々では、降伏の合図として白いシーツが窓から掲げられていました」。当時12歳の少年にとって、それは特別な瞬間だった。アメリカのGI(一般兵)たちは、規律に縛られた国防軍の兵士とは違い、ずっと気さくだったからだ。「『ハブ・ユー・ア・ガム?』と私はすぐに尋ねました。私たちはいつも、アメリカ兵から何かをもらおうと狙っていたんです」

何ひとつ忘れたくない

マイヤーさんは、自身の経験を後世に伝える努力を続けてきた。ここ数十年で27冊のフォトアルバムを作り、膨大な数の新聞記事を収集している。何ひとつ忘れたくないという思いからだ。

「正直に言えば、戦争が終わった瞬間は安堵感がありました。ただ、食料の確保など、大きな困難は依然として残っていました」。それでも終戦は、新たな始まりを意味していた。彼は自分の人生を、家族のために一冊の本に書き記した。どうやって戦争を生き延びたのか、どうやって父の事業を引き継ぎ、そしてどうやってその事業を誇りとともに息子インゴへ託したのか――そのすべてを。