16世紀から17世紀にかけて、フランスは新大陸への進出を本格化させました。彼らの主な目的は、アジアへ通じる「北西航路」の発見、豊かな毛皮資源の獲得、そして北米における恒久的な植民地の建設でした。ここでは、フランスの北米探検を牽引した5人の代表的な探検家と、それぞれの業績を紹介します。
ジャック・カルティエ(1491年〜1557年)
- セントローレンス川とセントローレンス湾を探検し、その土地をフランス領であると宣言しました。
- スタダコナ(現在のケベック・シティ)に入植地を築こうと試みました。
- アジアへ至る北西航路の発見を目指しました。
- しかし、恒久的な植民地の確立には失敗しています。
サミュエル・ド・シャンプラン(1567年〜1635年)
- オタワ川や五大湖地域を広く探検しました。
- 1608年にケベック・シティを創設し、「ヌーベルフランス」の父と呼ばれます。
- カナダ各地に毛皮交易の拠点を次々と設立しました。
- カナダにおけるフランス植民地化を強力に推進しました。
ジャン・ニコレ(1598年〜1642年)
- 五大湖およびミシシッピ川方面を探検しました。
- 現在のウィスコンシン州やミネソタ州にあたる地域へ到達しました。
- 先住民族(ネイティブ・アメリカン)の諸部族との接触を実現し、フランスとの関係構築に貢献しました。
ピエール・ル・モワヌ・ディベルヴィル(1661年〜1706年)
- メキシコ湾岸とミシシッピ川下流を探検しました。
- 1699年にルイジアナ植民地を創設しました。
- 1702年のモービル湾の戦いでイギリス軍を破り、フランスの勢力圏を守りました。
ロベール・カヴリエ・ド・ラ・サール(1643年〜1687年)
- 五大湖からミシシッピ川にかけての広大な地域を探検しました。
- 1682年にミシシッピ川を下ってメキシコ湾へ到達しました。
- ミシシッピ川流域一帯をフランス領として宣言し、後に「ルイジアナ」と名付けられる領域の基礎を築きました。
- しかし、ミシシッピ川河口への植民地建設には失敗しました。
これらの探検家たちの活動により、フランスは北米東部から内陸部、さらにメキシコ湾岸にまで勢力を広げました。北西航路の発見という当初の目標は最終的に達成されませんでしたが、彼らが切り開いた交易路と拠点は、ヌーベルフランスと呼ばれる広大なフランス領北米の礎となったのです。