マルヌの戦いとは
マルヌの戦い(第一次マルヌ会戦)は、第一次世界大戦初期の1914年9月6日から12日にかけて、フランス北東部のマルヌ川沿いで行われた大規模な会戦です。ドイツ軍によるパリ進撃を食い止め、開戦わずか1か月余りで戦争の帰趨を大きく左右した歴史的な転換点として知られています。
連合国(協商国)側の参战国
- フランス — 戦いの主力を担った国。総司令官ジョゼフ・ジョッフル将軍の指揮のもと、パリ守備隊を含む各軍を再編成し、決定的な反攻を実施しました。
- イギリス — ジョン・フレンチ元帥率いるイギリス遠征軍(BEF)が参戦し、フランス軍と連携してドイツ軍の側面を脅かしました。
- ベルギー — 開戦当初からドイツの侵攻に抗して国土を防衛し、連合国側の一角を担いました。
- ロシア帝国 — 東部戦線でドイツ・オーストリア軍と戦い、西部の同盟国を支える重要な役割を果たしました。
- モンテネグロ — 小国ながら連合国側として宣戦布告し、バルカン方面で戦いました。
なお、マルヌ川沿いの戦闘に直接投入されたのは主にフランス軍とイギリス遠征軍であり、ロシアやベルギー、モンテネグロはそれぞれの戦線で中央同盟国と交戦しました。
中央同盟国側の参战国
- ドイツ — 総司令官ヘルムート・フォン・モルトケ(子)の指揮下、クルック率いる第一軍やビューロウ率いる第二軍などがシュリーフェン・プランに基づきパリ目指して進軍しましたが、マルヌ川で阻止され撤退を余儀なくされました。
- オーストリア=ハンガリー — 中央同盟国の中核の一員として、主に東部戦線やバルカン方面でロシア・セルビア軍などと戦いました。
マルヌの戦いの歴史的意義
この会戦で連合国戦で連合国軍はドイツ軍の速攻作戦を粉砕し、パリ陥落という最悪の事態を回避することに成功しました。その結果、両軍は塹壕を築いて向かい合う「西部戦線」が形成され、第一次世界大戦はその後4年間に及ぶ長期の消耗戦へと移行していきました。「マルヌの奇跡」と呼ばれるこの勝利は、タクシーや一般車両まで動員して兵士を前線へ運んだエピソードでも広く知られています。