ヨーロッパの歴史

エルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロの遠征がもたらした歴史的結果とは?

スペインによるメキシコとペルーの征服

16世紀前半、スペイン人の征服者(コンキスタドール)たちによる二つの大遠征は、中南米の歴史を根本から変えることとなりました。エルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロが率いたこれらの遠征は、それぞれアステカ帝国とインカ帝国という巨大な文明を滅ぼし、スペインの新大陸支配への道を開いたのです。

エルナン・コルテスとアステカ帝国の征服

1519年、エルナン・コルテスは約500名の兵士とともにキューバからメキシコへ出航しました。彼は先住民のトラスカラ人や、アステカに恨みを抱く諸民族との同盟を巧みに利用しながら内陸へ進軍し、1521年についにアステカ帝国の首都テノチティトランを陥落させました。

この勝利により、メキシコ中央部はスペインの植民地「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」となり、1521年にはテノチティトランの跡地にメキシコシティが建設されました。この都市はその後、スペイン領アメリカの政治・経済の中心として発展していきます。

フランシスコ・ピサロとインカ帝国の征服

一方、南米ではフランシスコ・ピサロがインカ帝国の征服に乗り出しました。1532年、ピサロはわずか180名ほどの部下とともにペルーに上陸し、インカ皇帝アタワルパをカハマルカで奇襲して捕虜としました。内部で帝位継承争いが続いていたインカ帝国は、この打撃から立ち直れず急速に崩壊していきました。

そして1535年、ピサロは太平洋岸にリマの街を建設しました。リマは「王の街」とも呼ばれ、以後スペイン統治下のペルー、ひいては南米太平洋岸地域の中心都市として栄えることになります。

二つの遠征が残したもの

コルテスとピサロの遠征は、わずかな兵力で二つの大帝国を滅ぼした点で世界史において特筆されます。その成功要因には、火器や鉄製の武器、馬といった軍事的優位性に加え、旧大陸由来の疫病(天然痘など)による先住民人口の激減、そして現地勢力との同盟戦略が挙げられます。

これらの征服によって、メキシコとペルーはスペイン帝国の重要な植民地となり、銀山などからの莫大な富がヨーロッパへ流れ込みました。同時に、先住民の文化や社会には壊滅的な影響が及び、中南米における言語・宗教・社会構造は大きく変容することとなったのです。