三国同盟と三国協商とは
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパでは互いに対立する二つの同盟体系が形成されました。それが「三国同盟」と「三国協商」です。両陣営の結成には、1870年から1871年の普仏戦争に勝利し、ヨーロッパの一大強国として台頭したドイツの存在が大きく関わっていました。
三国同盟の結成
1879年、ドイツはオーストリア=ハンガリー帝国との間に「独墺同盟(二国同盟)」を締結しました。これは、バルカン半島で勢力を拡大するロシアの膨張主義への対応として結ばれたものです。
その後、1882年にイタリアがこの同盟に加わり、「三国同盟」が成立しました。イタリアは、北アフリカにおいてフランスに対抗するための支援を得たいという思惑から加盟しています。
三国協商の結成
1907年、イギリス・フランス・ロシアの3か国は、力を増し続けるドイツへの対抗として「三国協商」を形成しました。ただし、三国協商は三国同盟のような正式な軍事同盟ではなく、外交上の問題について協議し協力するという、比較的緩やかな合意にとどまるものであった点が特徴です。
両陣営の対立がもたらしたもの
こうしてヨーロッパは、三国同盟と三国協商という二つの陣営に分かれていくことになりました。この対立構造は各国間の軍拡競争や外交的な緊張を一層高める結果となり、やがて第一次世界大戦の勃発につながる重要な要因の一つとなったのです。