アンネ・フランクは1929年、ドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれたユダヤ系の少女です。1933年にナチスが政権を握ると、ユダヤ人への迫害が本格化しました。これを受けてフランク一家は、1933年末から1934年初めにかけてドイツを去り、当時まだ安全と見られていた中立国・オランダのアムステルダムへ移住しました。
1942年7月――隠れ家での潜伏生活の始まり
ところが1940年5月、ドイツ軍がオランダに侵攻すると状況は一変します。占領下のオランダでもユダヤ人弾圧が強まり、国外へ脱出する手段は次々と閉ざされていきました。フランク一家は新たな亡命先を求めて再び国を離れるのではなく、アムステルダムのプリンセンフラハト263番地、父オットーの会社の建物内にある「後屋(アヒテルハイス)」と呼ばれる隠れ家に身を潜める道を選びました。
1942年7月6日、姉マルゴーに労働召集令状が届いたことがきっかけとなり、一家は隠れ家での生活を開始します。その後、ファン・ダーン一家(実名はファン・ペルス家)や歯科医のフリッツ・プフェッファーも加わり、計8人が外部との接触を絶って暮らしました。この間、アンネは日記『アンネの日記』に日々の思いをつづり続けています。
1944年8月――密告による逮捕
隠れ家での潜伏生活は、1944年8月4日に突然の終わりを迎えました。何者かの密告によりナチスの保安警察が隠れ家を突き止め、8人全員が逮捕されたのです。密告者の正体は今日まで確定していません。逮捕されたメンバーは強制収容所へ送られ、最終的に生きて帰ることができたのは父オットー・フランクただ一人でした。アンネ自身は1945年2月頃、ベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスのため、15歳の短い生涯を閉じました。
まとめ
アンネ・フランク一家は1933年から34年にかけてドイツからオランダへ移住し、その後1942年7月にアムステルダムの隠れ家へ潜伏しました。そして1944年8月の逮捕まで、約2年間を隠れ家の中で過ごしています。彼女が遺した日記は、戦争と迫害の悲劇を今に伝える貴重な証言として、世界中で読み継がれ続けています。