マケドニアによるギリシャ制覇の歴史的背景
マケドニア王フィリップ2世とその息子アレクサンダー大王は、厳密には「ギリシャ全土を征服した」わけではありません。むしろ彼らは、外交と軍事的圧力を駆使して、ギリシャのポリス(都市国家)群に対するマケドニアの覇権(ヘゲモニー)を確立したのです。
決定的な転換点となったカイロネイアの戦い(紀元前338年)
この歴史における最大の転換点となったのが、紀元前338年のカイロネイアの戦いです。この戦いでフィリップ2世率いるマケドニア軍は、伝統的なギリシャ強国であるアテナイとテーバイの連合軍を打ち破りました。
当時18歳だったアレクサンダーもこの戦いに従軍し、騎兵部隊を指揮して重要な役割を果たしたと伝えられています。この勝利により、ギリシャ本土における独立したポリスの時代が事実上終焉を迎えたのです。
コリントス同盟の結成
カイロネイアの戦いの翌年、紀元前337年にはコリントス同盟が結成されました。これは各ポリスに自治を認めつつ、フィリップ2世を盟主として従わせる緩やかな連合体制であり、マケドニアの宗主権を正式に確立するものでした。フィリップ2世はペルシア遠征を計画しましたが、紀元前336年に暗殺され、その大業は息子アレクサンダーへと受け継がれました。
「征服」というより「覇権の樹立」
つまり正確に言えば、フィリップ2世とアレクサンダー大王はギリシャを完全に征服・併合したのではなく、紀元前338年のカイロネイアの戦いを契機として、外交的手腕と軍事力によってギリシャ諸ポリスを服属させたのです。この体制の下でアレクサンダーはペルシア帝国への東方遠征を開始し、後のヘレニズム時代への道を切り開くことになりました。