ボストン茶会事件とイギリス議会の報復
1773年12月に発生したボストン茶会事件では、イギリスによる茶税に抗議した入植者たちが、ボストン港に停泊していた船から大量の茶箱を海へ投げ込みました。この事件を受け、イギリス議会は入植者たちを懲らしめ、今後の反抗的な行動を防ぐことを目的とした一連の懲罰的な法律、いわゆる「強制法(Coercive Acts)」を成立させました。
これらの法令はその厳しさから、当時のアメリカ植民地の人々には「耐え難き諸法(Intolerable Acts)」とも呼ばれました。
強制法を構成する4つの主要な法令
1. ボストン港閉鎖法(Boston Port Act)
投げ捨てられた茶の代金が支払われるまで、ボストン港を無期限に閉鎖するというものです。貿易に依存していたボストンの経済は深刻な打撃を受けました。
2. マサチューセッツ統治法(Massachusetts Government Act)
マサチューセッツ植民地の勅許状を取り消し、住民による自治権を大幅に制限しました。多くの公職者が王によって任命されることになり、植民地の自治は形骸化しました。
3. 司法行政法(Administration of Justice Act)
公務執行中に罪に問われたイギリスの役人は、植民地ではなく本国イギリスで裁判を受けることができると定めました。公正な裁判が受けられないのではないかという不安が広がりました。
4. 宿営法(Quartering Act)
イギリス軍の兵士を民家に宿泊させることを認めるもので、住民の生活や財産への干渉として強い反発を招きました。
強制法がもたらした結果
強制法は、イギリス政府が意図したような秩序の回復をもたらすどころか、逆効果となりました。他の植民地もマサチューセッツへの連帯感を強め、入植者たちの怒りは一気に高まりました。
1774年には各植民地の代表が集まる第一次大陸会議が開催され、イギリスへの対抗措置が話し合われるなど、本国と植民地の対立は決定的なものへとエスカレートしていきました。こうして強制法は、やがてアメリカ独立戦争へとつながる重要な転換点の一つとなったのです。