ヨーロッパの歴史

1866年にプロイセンへ編入されたドイツの地域とは?普墺戦争後の併合領を解説

1866年の普墺戦争(オーストリア・プロイセン戦争)でプロイセンが勝利を収めた後、プロイセン王国に併合されたドイツの地域は以下の通りです。

プロイセンに併合された主な地域

  • ハノーファー王国
    北ドイツに位置し、かつてイギリス王室と同君連合を組んでいた重要な王国でした。
  • ヘッセン=カッセル選帝侯国
    中部ドイツに位置する選帝侯領で、神聖ローマ帝国以来の歴史を持つ地域です。
  • ナッサウ公国
    ライン川流域一帯を支配していた公国で、現在のヘッセン州やラインラント地方に相当します。
  • フランクフルト自由市
    ドイツ連邦議会の所在地として栄えた自由都市でした。
  • シュレースヴィヒおよびホルシュタイン
    1864年の第二次シュレースヴィヒ戦争でプロイセンとオーストリアがデンマークから獲得した地域ですが、1866年にプロイセンが単独で併合しました。

併合の歴史的背景

普墺戦争は、ドイツ統一の主導権をめぐるプロイセンとオーストリアの覇権争いでした。宰相ビスマルク率いるプロイセンは、1866年7月のケーニヒグレーツの戦い(サドワの戦い)で決定的な勝利を収めます。

戦後締結されたプラハ条約に基づき、プロイセンは上記の諸地域を併合。これによりプロイセンの領土は飛躍的に拡大し、東部と西部の領土が地理的につながりを持つことになりました。

この併合は翌1867年の北ドイツ連邦結成への大きな一歩となり、さらに1871年のドイツ帝国成立へと至る、ドイツ統一過程における重要な転換点となりました。