
紀元前6000年頃
ミノア文明の誕生
農民たちが地中海に浮かぶ島クレタ島に定住しました。彼らの生活様式は、やがてヨーロッパ最初の大文明へと発展していきます。ミノア人という名前は、この島を治めたとされる伝説上の王ミノスに由来しています。
ミノス王の伝説
ギリシャ神話によると、大神ゼウスはエウロパという美しい王女に恋をしました。ゼウスは雄牛に姿を変え、王女を背に乗せてクレタ島まで海を渡ったといいます。そしてエウロパは、クレタ島初の王となるミノスを産んだのです。
紀元前2500年頃
小さな村々が成長し、次第に町へと姿を変えていきました。

紀元前1900年頃
最初の宮殿の建設
各都市は巨大な宮殿を中心として築かれました。中でもクノッソスの宮殿は最大級のもので、回廊や階段、中庭によってつながれた1,000を超える部屋を備えていました。宮殿の壁は、宮廷生活の情景や植物、動物を描いた色鮮やかなフレスコ画で飾られていました。
王は玉座の間で儀式を主宰しました。石造りのクノッソスの玉座はヨーロッパ最古のもので、今も当時の場所に残っています。ミノア人は大きな神殿を建てませんでしたが、宮殿内の祭祀用の広間や、屋外に設けられた小さな墓廟で神々に祈りを捧げ、供物を献じていました。
ミノタウロスの伝説
伝説によれば、ミノタウロスは半分が人間、半分が牛の怪物で、クノッソス宮殿の地下にある巨大な迷宮に棲みついていました。若いギリシャの王子テセウスはこれを退治しようと決意します。するとミノス王の娘アリアドネが、魔法の剣と糸玉を彼に授けました。迷路に入ったテセウスは背後に糸を垂らしながら進み、剣で怪物を討ち倒した後、アリアドネの糸をたどって無事に脱出することができたのです。
クレタ島の人々の暮らし
ミノア人の多くは、家畜を飼い、作物を育て、漁を行う農民でした。ほかにも地元で商売をする者や、船で海を渡り交易に従事する者もいました。ミノア人は「牛飛び」と呼ばれる闘牛の曲芸を好みました。牛は海の神として崇められていたため、この曲芸は宗教儀式の一部だったと考えられています。
税の仕組み
シュメール、エジプト、インダス文明と同様に、農民は収穫物や生産物の一部を宮殿に納める義務がありました。これらの食料は貯蔵庫に保管され、宮廷の高官たちの食料や、宮殿で働く職人への報酬として使われました。残りは売却されました。
文字の発明
ミノア人が食料の貯蔵や交易を始めると、取引を記録する必要が生じました。当初は絵文字を使っていましたが、紀元前1650年頃には「線文字A」と呼ばれる独自の文字体系を発明します。驚くことに、この文字は今日まで誰にも解読されていません。

紀元前1700年頃
ミノア都市の破壊
正確な経緯は不明ですが、この時期、近隣のテラ島(現在のサントリーニ島)の火山が大噴火し、地震や津波を引き起こした可能性が指摘されています。
紀元前1700年〜1450年頃
クレタ島の最盛期
破壊された都市や宮殿は再建され、クレタ島は繁栄の頂点を迎えます。
紀元前1450年頃
ミケーネ人による侵入
ギリシャ本土出身の民族であるミケーネ人がクレタ島に侵攻しました。彼らは宮殿を破壊し、ミノア文明は次第に衰退していったのです。