マルコ・ポーロ(Marco Polo)は、13世紀にヴェネツィアからシルクロードを経由して中国まで旅した、世界史上最も有名な旅行者の一人です。彼の旅の記録である『マルコ・ポーロ旅行記』(『世界の記述』、通称「イル・ミリオーネ」)は、当時のヨーロッパ人にとって未知であった東アジアの姿を伝え、後のコロンブスら大航海時代の探検家たちにも大きな影響を与えました。
第一次の旅(1271年〜1295年)
マルコ・ポーロの最初の、そして最も有名な旅は1271年に始まりました。父ニコロ、叔父マッテオとともにヴェネツィアを出発し、陸路のシルクロードをたどって東へ向かいました。
- 出発: 1271年、父と叔父とともにヴェネツィアを出発し、シルクロードを経由して東進。
- 経由地: アナトリア(現在のトルコ)、ペルシア(イラン)、中央アジアなどを通過。
- 中国到着: 1275年に元(モンゴル帝国)の支配下にある中国に入り、杭州や大都(現在の北京)など数多くの都市を訪問。
- フビライ・ハンとの交流: 元の皇帝フビライ・ハンに仕え、外交官および顧問として約17年間にわたり活躍しました。
帰国の旅(1292年〜1295年)
1292年頃、マルコ・ポーロは帰国の途につきます。このとき彼らは、ペルシアのイル・ハン国へ嫁ぐモンゴル皇女ココチン(コカチン)の護送役として任命されました。
- 海路での帰還: 行きとは異なるルートを選び、中国(泉州)から船で南海を抜け、スマトラやインドを経由してペルシャ湾へと向かいました。
- 任務完了: ペルシアで皇女を無事に届けた後、陸路と海路を経てヴェネツィアを目指しました。
ヴェネツィアへの帰還と旅行記の執筆(1295年)
1295年、出発から実に24年の時を経てマルコ・ポーロは故郷ヴェネツィアに帰還します。その後、ジェノヴァとの戦いで捕虜となった際、獄中で知り合った作家ルスティケロ・ダ・ピサの協力を得て、自身の旅の体験を書き綴りました。これが後に『マルコ・ポーロ旅行記』として広くヨーロッパ中に伝わることになります。
歴史的な信憑性について
なお、一部の歴史家の間では、マルコ・ポーロの記述には誇張が含まれていたり、実際に自分で目撃したものではなく他人から聞いた話に基づいている部分があるのではないかと指摘されています。例えば、中国側の史料に彼に関する直接的な記録がほとんど見られないことなどが、その根拠として挙げられることがあります。しかし、旅行記が中世ヨーロッパにおける東方認識を大きく広げたことは間違いなく、その歴史的価値は今なお高く評価されています。