ヨーロッパの歴史

イタリア統一(リソルジメント)に反対した主な勢力とは?

19世紀のイタリア統一運動(リソルジメント)は、長年分裂していた半島をひとつの国家へとまとめ上げた歴史的な偉業ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。統一の実現を阻もうとした勢力は、国外の列強から国内の諸運動まで実に多岐にわたります。ここでは、主要な反対勢力をそれぞれ詳しく解説します。

1. オーストリア帝国 ― 最大の障害

オーストリアは、イタリア統一にとって最も強力な敵対者でした。同国はロンバルディア=ヴェネツィアをはじめとする北イタリアの広範な地域を直接支配しており、これらの領土を放棄する意思は一切ありませんでした。さらに、イタリア半島内の諸国家にも強い影響力を行使しており、統一国家の誕生は自国の勢力圏崩壊を意味するため、あらゆる手段で統一運動の抑え込みを図りました。

2. フランス ― 警戒と野心のはざまで

フランスは伝統的にオーストリアのライバルでしたが、同時に強大で統一されたイタリアの出現も強く警戒していました。加えて、フランス自身もサヴォワやニースといった地域に領土的野心を抱いており、イタリア統一が必ずしも自国の利益になるとは限らないと考えていました。実際、1860年にはサルデーニャ王国がニースとサヴォワをフランスへ割譲するという結果につながっています。

3. ローマ教皇庁 ― 世俗権力を守るための抵抗

教皇は、イタリア統一が教皇領における世俗権力(テンポラル・パワー)の喪失につながることを恐れ、統一運動に断固として反対しました。統一後も教皇庁の抵抗は続きましたが、特にピウス9世はカトリック信者に対してイタリア王国への選挙参加を事実上禁じる「ノン・エクスペディート(non expedit)」方針を打ち出すなど、国家と教会の対立は長期化しました。

4. 両シチリア王国 ― 南部の独立を守り抜こうとした王朝

両シチリア王国は南イタリア最大の国家であり、ブルボン家の支配のもとで独立維持を強く望んでいました。しかし1860年、ガリバルディ率いる「千人隊(赤シャツ隊)」の遠征により征服され、その領土は翌1861年のイタリア王国成立へと組み込まれていくことになりました。

5. 共和制・連邦制を掲げる国内諸運動

興味深いことに、王政による統一に反対したのは外国勢力だけではありません。マッツィーニのように共和制による統一を理想とした急進派や、各地域の自治権を重視する連邦主義者たちも存在しました。彼らは統一そのものには賛成でも、「どのような国家形態」を目指すべきかという点で王政派と鋭く対立したのです。

まとめ

このように、イタリア統一はオーストリアやフランスといった列強の干渉、教皇庁の抵抗、南部王国の独立志向、さらには国内の共和派との路線対立など、数多くの障害を乗り越えて初めて実現しました。1861年のイタリア王国成立から1870年のローマ接収による完全統一までには、半世紀近くに及ぶ苦難の歴史が刻まれているのです。