答えは明確で、古代ローマでは貧しい人々の方が圧倒的に多かったのです。
人口の大多数を占めた貧困層
古代ローマの人口の大部分は貧しい平民(プレブス)たちでした。裕福な階層である貴族(パトリキ)や富裕層は、ごく一部にすぎませんでした。
貧しい人々の多くは、ローマ市内の密集した集合住宅「インスラ」に住んでいました。これらの建物は建設が粗雑で火事や崩落の危険が常にあり、生活環境は劣悪でした。彼らはほとんど財産を持たず、日雇い労働や建設作業など、長時間の危険な仕事に従事してようやくその日の暮らしを支えていました。
国家による支援策
こうした貧困層の不満を抑えるため、ローマ政府は穀物の無償配給や、剣闘士試合などの娯楽を提供しました。これは後に「パンとサーカス」と呼ばれる政策として知られています。
わずかな裕福な階層
一方、富裕層は広大な邸宅「ドムス」や郊外の豪華な別荘「ウィッラ」で暮らしていました。彼らは最高の教育を受け、優れた医師の診療を受け、珍しい食材を使った食事を楽しむことができました。奴隷を使用して家事や労働を担わせることもできました。
まとめ
このように古代ローマ社会は、少数の裕福なエリートと大多数の貧しい民衆という、極めて大きな格差に特徴づけられる社会でした。華やかなローマ文明の影には、過酷な日常を生き抜く多くの人々の存在があったのです。