ヨーロッパの歴史

マルコ・ポーロはなぜインドへ行ったのか?——その前提、実は誤解かもしれません

「マルコ・ポーロはなぜインドへ行ったのでしょうか?」という疑問に対しては、まず押さえておきたい重要なポイントがあります。それは、マルコ・ポーロはそもそもインドを訪れていない(とされる)という点です。つまり、この質問自体の前提に誤りがある可能性が高いのです。

マルコ・ポーロの旅の中心は中国だった

13世紀後半、ヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロは、父ニコロと叔父マッテオとともにシルクロードをたどり、ユーラシア大陸を横断して元(モンゴル帝国)の都・大都(現在の北京)へと向かいました。彼はフビライ・ハンに仕え、中国各地を巡る使命を担うなど、アジア大陸の広範囲を旅したことで知られています。

彼の旅路の主舞台は、あくまで中央アジアと中国であり、インド亜大陸への本格的な滞在を裏付ける確かな記録は残っていません。

帰路の海路で「インド洋」を通った可能性

ただし、『東方見聞録』の記述によれば、マルコ・ポーロは帰国の際に船で南シナ海を下り、スマトラ島やインド洋沿岸、ペルシャ湾を経由して戻ったとされています。このため、「帰りの航海でインド沿岸に立ち寄った」という説も存在します。

一方で、彼の著書には実際に自分の目で見た情報と、他の商人や伝聞から得た情報が混在していると指摘する研究者も多く、本人がどこまで実際に足を踏み入れたのかについては、今日でも議論が分かれています。

まとめ:答えは「行っていないから理由もない」

結論として、「なぜインドへ行ったのか?」という問いへの答えは、「そもそも訪問の確証がなく、理由も存在しない」ということになります。マルコ・ポーロの偉大さは、ユーラシア大陸を縦断し、当時のヨーロッパ人にとって未知の東アジアの姿を『東方見聞録』として伝えた点にこそあります。インドに関する記述は、伝聞に基づく部分が大きいと考えられているのです。