結論から言うと、答えは「ノー」です。
第二次ポエニ戦争(紀元前218年〜紀元前201年)において、カルタゴの名将ハンニバルは確かにイタリア半島へ侵攻しました。彼は象を引き連れてアルプス山脈を越えるという前人未踏の行軍を行い、トレビアの戦い、トラシメヌス湖畔の戦い、そしてカンナエの戦い(紀元前216年)でローマ軍に壊滅的な打撃を与えました。
ハンニバルはなぜローマ市を落とせなかったのか
しかし、ハンニバルがイタリアにいた16年間、ついにローマ市そのものを攻略することはできませんでした。その理由には以下のような要因が挙げられます。
- 包囲攻撃のための装備が不足していた:遠征の途上で攻城兵器を失っており、堅固なローマの城壁(セルウィウス城壁)を突破する手段が限られていました。
- ローマ側の徹底した抵抗:カンナエの大敗後もローマは講和を受け入れず、ファビウス・マクシムスの「回避戦術(消耗戦略)」によって時間を稼ぎました。
- 同盟都市の離反が限定的だった:ハンニバルは南イタリアの諸都市を味方につけたものの、決定的な数の同盟国を奪うことはできませんでした。
戦争の結末
長期化する戦局の中で、ローマは若き将軍スキピオを北アフリカのカルタゴ本国へ派遣します。紀元前202年のザマの戦いでハンニバルはスキピオに敗れ、第二次ポエニ戦争はローマの勝利に終わりました。この結果、カルタゴは地中海における覇権を失い、ローマが西地中海の支配者としての地位を確立することとなったのです。