前提をただす:アダムズはフランスとの戦争を「拒否」していない
「ジョン・アダムズがフランスとの戦争を拒否した」という問いには、実は大きな誤解が含まれています。アダムズはアメリカ合衆国第2代大統領(在任:1797年〜1801年)であり、在任中の1798年から1800年にかけて、フランスとの海上武力衝突、通称「準戦争(Quasi-War)」を指揮した人物だからです。彼は戦争そのものを回避したのではなく、海軍の拡充を主導しながら、全面戦争へのエスカレートだけを避けようとしたのです。
準戦争とはどのような出来事だったのか
きっかけとなったのは、1797年に発覚した「XYZ事件」です。フランスへ派遣されたアメリカの外交使節は、タレーラン外相の代理人たち(X・Y・Zと呼ばれた)から、交渉と引き換えに賄賂を要求され、これが伝わるとアメリカ国内で激しい反仏世論が巻き起こりました。
さらに当時のフランスは、アメリカの商船を次々と拿捕しており、両国は事実上の交戦状態に突入します。アダムズ政権は海軍省を新設(1798年)し、有名なフリゲート艦「コンスティテューション」などを中心にフランスの私掠船への対抗を進めました。この期間、アメリカ海軍はカリブ海で数多くの勝利を収めています。
それでも全面戦争を避けた理由
興味深いのはここからです。同じ連邦党の中でもアレクサンダー・ハミルトンら強硬派は正式な宣戦布告を求めましたが、アダムズはこれを退けました。彼は新興国家アメリカにとって本格的な欧州戦争は国庫と国民を疲弊させるだけだと考え、1800年、再び和平使節をフランスへ派遣します。
この決断により、同年10月にナポレオン政権との間で「モルトフォンテーヌ条約(1800年の協約)」が調印され、準戦争は公式に終結しました。
その代償と後世の評価
和平路線は党内の猛反発を買い、連邦党は分裂。アダムズ自身も1800年の大統領選挙でトーマス・ジェファーソンに敗れ、再選を果たせませんでした。つまり「何が起こったのか」に答えるならば――彼は準戦争という限定的な武力衝突を指揮しつつ全面戦争を回避し、その代償として政治的孤立と落選を受け入れた、ということになります。
しかし今日の歴史家の多くは、若い共和国を不必要な戦争から守ったアダムズの判断を、勇気ある先見的な決断として高く評価しています。