ヨーロッパの歴史

ヨーロッパ諸国はビザンツ帝国を攻撃したのか?第四回十字軍の真相を解説

ヨーロッパの列強は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)に対して歴史上何度も攻撃を仕掛けてきました。その中でも特に有名な出来事が、1204年に起こった第四回十字軍によるコンスタンティノープルの攻略です。

第四回十字軍:本来の目的からの転換

第四回十字軍は、当初イスラム勢力の支配下にあったエルサレムを奪還することを目的として掲げていました。しかし、十字軍がヴェネツィアに艦隊と輸送船の手配を依頼したことが、事態を大きく変えるきっかけとなります。ヴェネツィアのドージェ(総督)エンリコ・ダンドロは、経済的な利益を背景に、十字軍の矛先をビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルへと向けさせたのです。

帝都の略奪とラテン帝国の樹立

1204年4月、十字軍はコンスタンティノープルを陥落させ、市内で徹底的な略奪と破壊を行いました。この事件は東西教会の亀裂を決定的にしたともされ、ビザンツ帝国は一時的に崩壊します。代わりにラテン帝国(コンスタンティノープル・ラテン帝国)が樹立され、旧帝国の領土はヴェネツィアや十字軍の諸侯によって分割されました。ビザンツ帝国はニカイア帝国など複数の後継国家へと分裂することとなったのです。

ビザンツ帝国への長期的な影響

1261年、ニカイア帝国はコンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国は復活を遂げます。しかし、第四回十字軍による打撃はあまりにも大きく、帝国はかつての繁栄を完全に取り戻すことはできませんでした。国力を著しく消耗したビザンツ帝国は、その後徐々に衰退を深め、最終的には1453年にオスマン帝国によって滅ぼされることになります。