クロムウェルのアイルランド遠征と「支持者」の存在
1649年から1650年代にかけて、イングランド議会派の指導者オリバー・クロムウェルが率いる軍隊はアイルランドに上陸し、王党派およびアイルランド・カトリック同盟の勢力を徹底的に鎮圧しました。この遠征は大多数のアイルランド人から強い敵意をもって迎えられましたが、一方で、クロムウェルや議会派の統治を支持した、あるいは支持せざるを得ない状況に置かれた人々も確かに存在していました。
アルスターのプロテスタント入植者
最大の支持基盤となったのが、アルスター地方に入植していたイングランド人・スコットランド人のプロテスタントです。彼らは1641年のアイルランド反乱以来、カトリック多数派との緊張関係の中で暮らしており、クロムウェルの遠征を自らの土地と安全を守り、地域における支配的地位を確立する絶好の機会と捉えました。
プロテスタントに改宗したオールド・イングリッシュ
中世にアングロ=ノルマン人としてアイルランドへ渡り、現地の文化に同化していった「オールド・イングリッシュ」の末裔のうち、プロテスタントに改宗していた一部の人々も議会派に与しました。彼らは宗教的寛容や一定の政治的自立への期待を抱き、カトリック中心のアイルランド・カトリック同盟とは距離を置く道を選んだのです。
実利を重視した都市の商人・地主層
ダブリンなどの都市部では、イングランドとの貿易に生活を依存する商人層や、戦乱の早期終結を望む地主層の一部が、実利的な理由から議会派の統治を受け入れました。クロムウェル政権がもたらす治安の回復は、彼らにとって経済活動の安定を意味していました。
大多数の敵対と遺された歴史的傷跡
ただし、こうした支持者はあくまで少数派でした。当時のアイルランド政治の主流であったアイルランド・カトリック同盟や、オーモンド公ジェームズ・バトラー率いる王党派は、最後までクロムウェルに抵抗し続けました。1649年のドロヘダおよびウェックスフォードでの虐殺、さらに1652年の「アイルランド設定法」による大規模な土地没収と追放は、アイルランド社会に深く消えることのない傷を残しました。
このように、クロムウェルを支持したアイルランド人は、主にプロテスタント入植者や改宗者など、宗教的・経済的な利害で結ばれた特定の集団にとどまりました。彼らの支持は純粋な信念というよりも、激動の時代を生き抜くための現実的な選択だったと言えるでしょう。